鈴木孝夫『教養としての言語学』を読む

 鈴木孝夫『教養としての言語学』(岩波新書)を読む。同じ著者の岩波新書『ことばと文化』『日本語と外国語』を読んできたが、本書は題名ほど硬い本ではない。
 記号、あいさつ、指示語、人称、言語干渉の5章からなっている。鈴木は少年の頃から野鳥が好きで、鳥類を観察し、その延長で動物の鳴き声と人間の言語の共通性などに気づいて研究のテーマにすることができた。言語学者としての最初の論文は「鳥類の音声活動――記号論的考察」というものだったが、学会の長老からは、これは言語学の研究と呼べるものだろうかと批判された。また蜜蜂のダンスの言葉をやや詳しく紹介し、そこから人間の言語にはソシュールのいう恣意性だけでなく、構造的な非写像性(構造的恣意性)があることを指摘している。
 この構造的写像性とは、例えば大きさを表わす大中小のような一連のことばの相互の間に、音声表現の場合もまた文字表記のときにも、それら各々が表わす言語外の事象や事物のもつ相互の関係がまったく反映されていないということだ。
 あいさつの章では、あいさつが関係の確認や力関係を表していることが語られる。
 指示語の章では、対称詞(二人称)として使われる「彼」と「彼女」の例、自称詞(一人称)としての「ひと」の例が詳しく紹介される。これがなかなか面白かった。
 人称をめぐる問題でも、相手に対して三人称を使う場合や、本来二人称を使うべき状況で一人称を使う例、自分を三人称で表わしたり親族用語を使う例などが、英米文学などをテキストにして詳しく分析されている。
 言語干渉とは、

 一般的に言って、ある言語がそれまで接触のなかった別の言語と接触するようになると、そこに相互の交流が生じ、双方の言語の中に相手の言語によるいろいろな変化が起ることが知られている。このような言語変化を言語学では言語干渉(language interference)と呼んでいる。

 その結果、「食べつつある」の「つつ」のような不細工な表現などが出てきたと指摘している。その外国語による影響を6類型に分けて、「追加」「併存」「置き換え」「翻訳語」「意味拡張」「再命名」とし、詳しく解説している。
 鈴木は専攻が言語社会学と記されている。もともと英語が専門の学者であったが、日本語の特に漢字表記を擁護していて不思議な存在だ。いずれの著書もおもしろく読んだのだった。



教養としての言語学 (岩波新書)

教養としての言語学 (岩波新書)