鈴木孝夫『ことばと文化』を読む

 鈴木孝夫『ことばと文化』(岩波新書)を読む。先日、鈴木孝夫田中克彦『【対論】言語学が輝いていた時代』を読んで、鈴木孝夫をもっと読みたいと思って手に取った。期待どおりのおもしろい本だった。
 ことばの意味や使い方には構造があって、それが言語によって異なっているという。英語のbreakは手近の英和辞典では、こわす、おる、やぶる、きる…などとあるが、正確にはbreakは「刃物以外の外力を急に加えて、何かを二つ以上の離れた部分にすること」で、鋭い刃を持った道具で分割するのはcut、針金をくの字に折ったり、膝を折るなどはbendを使う。
 リップlipはふつう唇と訳される。その文例を引いてびっくりするような事実が紹介される。

 Ashurst, rather like a bearded Schiller, grey in the wings, …..with......bearded lips just open. 〈アシャーストは、ちょっとシラーに髭を生やしたような顔で、頬からびんにかけて白く、髭の生えた両くちびるを、かすかに開いて……)

 「bearded lips」を「髭の生えた両くちびる」と訳している。lipは実は口の周囲のかなりの部分で、upper lip 〈上唇〉とは、ほとんど日本語の「鼻の下」を言うとのこと。そして英語にはlip以外に「鼻の下」を表現する言葉がない。
 このほか、ことばの「定義」と「意味」の違いで、人が他人にことばを教えることができるのは、ことばの「定義」を教えることができるからなのであって、「意味」は教えていない。ことばの「意味」をことばで伝えることは不可能だという。
 最後の章で全体の1/3の70ぺージを費やして、「人を表す言葉」として、日本語の人称代名詞を詳しく分析している。これが面白かった。西洋の文法を日本語に当てはめて、一人称を私など、二人称をあなたなどと言うが、これは適切ではないと主張する。日本語では二人称として僕と言うこともあるし、話相手に対して「あなた」や「きみ」のような人称代名詞が用いられる場合も限られている。複雑なのでこのあたりのことは省くが、眼から鱗のことばかりだった。



ことばと文化 (岩波新書)

ことばと文化 (岩波新書)