金田一春彦『美しい日本語』を読む


 
 金田一春彦『美しい日本語』(角川ソフィア文庫)を読む。2002年に角川oneテーマ新書21として刊行された『日本語を反省してみませんか』を改題したもの。5つの章からなっていて、「『常識度』模擬試験」「周りを引き付ける人の日本語力」「『話せばわかる』日本人の本音」「日本人の心を動かす言葉」「言葉の背景を学ぶ」とある。
 なるほどちょっとハウツーっぽい軽めの新書的な内容だった。さすが言語学の大御所というか大御所の息子というか、教えられるところがたくさんあった。もっとも言語学そのものの話題ではなく、言葉と社会というような切り口だったら先だって読んだ鈴木孝夫の方が鋭く深いだろう。
 最初の「『常識度』模擬試験」はいただけなかった。このあたりは金田一が書いたというよりも、編集部が作ったものに金田一が手を入れたのだろうと思って読んでいたが、あとがきを見ると若い人の話題も取り上げたいと次男の金田一秀穂の意見を聞いてまとめたとある。以前サントリー美術館で見た楽家15代の茶碗の展示を思い出した。初代から15代まで時代が下るにしたがって完成度が落ちていった。まあ、茶碗はものだから、先代を超そうと考えたらどうしても奇矯な方向へ走ってしまう。
 ところどころ引用されている和歌などの解釈を読むと、言語学者が必ずしも文学を適切に理解できるわけではないことも分かった。
 言語学者らしいと思ったのは、以前山梨県甲府で起きた誘拐事件の脅迫電話のテープを聞かされたときのことを紹介しているエピソードだ。電話で犯人はほとんど標準語に近い言葉で話しているが、「ちゃんと」という言葉を「ちゃ〜」を高く話している。標準語では「〜んと」が高いのだという。また「持っていく」は東京の人なら「〜ていく」が高いのに、犯人は「持っ〜」を高く言っている。この犯人のアクセントは、山梨県中央部から長野県南部に独特のものだと。私は長野県南部の飯田市近郊の出身だが、まさにこの犯人と同じアクセントで今も話している。
 また、女の名前で届いた脅迫状に「〜と踏んで」とあるのを、これは男の言い方だと分析していた。あの言語学者金田一春彦だったのか。
 いや、親が偉いと子供は苦労するなあと改めて思った。