佐藤優『君たちが知っておくべきこと』を読む

 佐藤優『君たちが知っておくべきこと』(新潮社)を読む。副題が「未来のエリートとの対話」とあって、灘高校の生徒たちと3年にわたって3回対話したことの記録である。2013年と2014年、2015年のそれぞれ4月に灘高生たちが佐藤の家に集まって対話というか、佐藤の講義を受けている。3回のテーマはそれぞれ「真のエリートになるために」、「戦争はいつ起きるのか」、「僕たちはナショナリズムから逃れられない」というもの。
 佐藤は灘高生たちは日本のエリートの予備軍だ、君たちが真のエリートになるためにと、様々なアドバイスをする。エリートという存在を否定的にとらえるのではなく、エリートはどこの国、どこの社会にもいると肯定的にとらえている。
 佐藤は戦後の日本の政治家について、例をあげて評価をする。鳩山元首相は、

佐藤  ……彼は修士を二つ取って、博士論文もスタンフォード大できちんと書いています。マルコフ連鎖というものをベースにした決定理論、つまり「決断」の専門家で、学者としては一流の人なんですよ。(中略)
 じゃあその決断の専門家である鳩山さんが、なぜ沖縄問題やそのほかの問題で失敗したのか?(中略)
……鳩山さんの考える複雑系はあくまで関数体の中にある複雑系なんだよね。その外側に見えない世界があるんだという感覚を彼はもっていなかったし、今も持っていないと思う。
生徒  「見えない世界」とはどういうことですか?
佐藤  ひと昔前の言葉で言うと、先験的、超越的な感覚ということだよね。論理の外にそうした感覚の世界があることをつかんでおくことは、リーダーには意外と大事なんです。

 生徒が橋本龍太郎元首相について質問する。

生徒  佐藤さんは橋本龍太郎元首相が、「人間的にはちょっと問題のある人で、それが政治にも影響しているのかもしれない」と書いていらしたと思うのですけども、人間性と政治とは関係があるのでしょうか。
佐藤  橋本さんは、政策には非常に通じていた。それから、自分より圧倒的に弱い立場の人に対して厳しく出ることもあった。

 そして米原万里がモスクワのホテルで橋本に呼び出され、関係を迫られたことがあったと言う。佐藤は米原からそのことを聞いている。
 また、アベノミクスに対して、

佐藤  このアベノミクスというのは、おそらくは安倍総理とその周辺が主流派の経済学を全く知らないがゆえに出来上がった政策じゃないかと思う。
 たとえば、ゼロ金利からの金融政策。あれがどうして金融政策なのか、私にはよく分からない。最終的には日銀に大量の国債を買わせることになるわけだから、どちらかというと財政政策だよね。

 2回目の対談で、

生徒  佐藤さんの本に、普通なら自宅に友人を招かないようなロシアの人からも、信頼を獲得すれば招いてもらえるというエピソードがあったんですが、ヒューミント(=人的ネットワークから入手した情報による分析手法)において信頼関係を作るときに、佐藤さんが他の人に比べて優れていた理由は何だと思いますか。
佐藤  他の人に比べてというのは分からないけれども、基本的には二つのことを大切にすればいい。一つは〈約束を守る〉こと。もう一つは、〈できない約束をしない〉こと。この二つを守るのは意外と大変なんですよ。特に日本では、できないことを軽々に約束する人がけっこういるからね。

 佐藤は、今の日本の問題は何かという質問について考える。

佐藤  ……東京大学の法学部をトップで卒業したら、そのまま首相になれるか、政界の中で力をつけることができるかといったら、そうじゃないよね。だって、今の総理大臣と官房長官は、通っていた学校の偏差値で言ったら50台前半くらいの人たちだ。
 となると今の日本の状況から考えて、彼らは普通の民間企業に就職したならば、おそらく年収500万円に届かないような地位にいる人たちということになる。学歴やキャリアが大きく影響する一般社会とは違う原理が、政府首脳たちのいる世界では働いていることが分かります。(中略)
 旧来の自民党政権のときは、うまくごまかしていた。内閣総理大臣は「選挙を通じて選ばれた内閣総理大臣」の顔と「資格試験を合格してきた官僚の指揮命令をする最高責任者」の顔、二つを持つわけだけれど、エリート官僚は政治家に日本の舵取りを任せたら国が沈没すると本気で思っているから、政治家に口出しをさせない。それでこれまでは「名目的な権力者は総理大臣、実質的な権力者は官僚」という形で、使い分けながらうまくやって来た。でも今、その使い分けがうまく機能しなくなった。
生徒  それはどういうことでしょう。
佐藤  安部さんの持つ反知性主義が日本を動かし始めているから。反知性主義は必ず決断主義という形で現れてくる。
生徒  決断主義
佐藤  実証性や客観性を無視して、とにかく決められる政治が強い政治なんだ、という発想です。つまり、「細かいことはいいから、俺の言うとおりにやれ!」ということ。

 戦争は起こるかと生徒が聞く。

佐藤  起こる可能性はあるんだよね。なぜかというと、1914年、サラエボで2人のセルビア人の民族主義者がオーストリアの皇太子夫妻を暗殺したことが、なぜあんな世界戦争に繋がったのか、いまだに学術的にはよく分かっていないくらいだから。

 大変おもしろい講義だった。灘高生の賢さにも驚いた。彼らが真っ当なエリートに育ってくれることを望む。