宇野重規 著、若林恵(聞き手)『実験の民主主義』を読む

 宇野重規 著、若林恵(聞き手)『実験の民主主義』(中公新書9を読む。副題が「トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ」とうもの。編集者の若林が政治学者の宇野に質問して宇野が語るという形式をとっている。全6回の対話を基に本書が正立した。

 宇野はプラグマティズムを重視している。今回初めてプラグマティズムが有用で興味深い思想だということを教えられた。ずっと浅薄な思想だと思っていた。また、民主主義についても様々な考え方があり、現在の日本の民主主義ももう一度考えなければいけないことも教えられた。とても有意義な読書だった。

 宇野が「あとがき」で書いている。

 

 大きく言えば、本書は民主主義論に対し、二つの角度から問題提起をしている。

 一つは執行権(行政権)への着目である。本書において論じているように、これまでの民主主義論はどちらかといえば、むしろ立法権中心であった。もちろん、有権者の意志を、立法の過程を通じていかに実現するかという主題が重要であることは、あらためて強調するまでもない。とはいえ、このような立法権中心主義によって、覆い隠されてしまったものがあるとすれば、その最たるものが執行権の問題であろう。なるほど、議院内閣制においては国民によって選ばれた議会の制定法が執行されることによって、また大統領制においては政府の長が国民に直接選挙されることによって、執行権の民主的なコントロールが実現している。

 しかしながら、今日においてますますその影響力を拡大している執行権に対し、民主主義は選挙を通じてしか働きかけることができないのか。もし現代のテクノロジーの発展において、執行権の民主的コントロールが実現するとすれば、民主主義はその射程を大きく広げることになる。本書の第一のメッセージはこの可能性をめぐってのものである。

 私達は、日々、執行権(行政権)に働きかけることができる。政府の情報を開示させ、単にそれをチェックするだけではなく、自らの意見や問題意識をより直接的に政策に反映させることができる。(中略)政策形成は、そのエンドユーザーである市民の問題意識をいままで以上に反映すべきである。その意味で私たちは、かつてルソーが嘆いたように、「選挙の日だけ自由である」わけではない。選挙以外にも、民主主義を実現する方策は存在するのだ。

 第二のメッセージは、新たなアソシエーションとしてのファンダムである。トクヴィルアメリカにおいて発見したのは、普通の市民が他の市民と協力しながら、地域の課題を自ら解決していく技術(アート)であった。そのために彼が注目したのがアソシエーションである。このアソシエーションを現代的に翻訳すると、NPONGOになるということは、これまでも繰り返し論じられてきた。しかしながら本書では、実に意外なことに、いわゆる「推し活」などが話題になる、映画やドラマ、音楽などをめぐるファンの活動に着目している。

 

 これには驚いた。新しいアソシエーションをファンダムだと論じている。このあたり半信半疑で読んでいた。

 イギリスとフランスの民主主義が大きく違っていることなど、日本の民主主義ももう一度考えてみる必要が分かった。この辺のことをもう一度勉強してみなければならない。