『時間かせぎの資本主義』を読む

 ヴォルフガング・シュトレーク/鈴木直・訳『時間かせぎの資本主義』(みすず書房)を読む。最近読んだ本のなかでも極めて興味深い1冊だった。ただかなり難しい内容なので読み終わるのに時間がかかり、よく理解できたとは言いかねる。それでも世の中の仕組みが少しわかった気がした。
 本書は2012年に3回行った講演をもとにそれに加筆している。著者は現代を「租税国家から債務国家への転換だ」ととらえる。

……債務国家とはすなわち、歳出の大きな部分、しかも時には増大を続ける部分を租税ではなく国債発行によって穴埋めし、結果として膨大な国家債務を積み上げ、歳入のますます多くの部分をその債務支払いにつぎ込まなければならぬようになった国家をさす。

コモンプール論についていえば、国家財政危機の原因は、大衆が過剰な民主主義にそそのかされて公的財源からできるだけ多くのものを奪い取ろうとしたことにあったのではない。むしろ資本主義経済からもっとも多くの利益を得た人々が公的財源にもっともわずかなものしか払い込まなくなったことに原因がある。しかも時とともにその負担額はますます少なくなっていった。もし国家財政を構造的赤字に追いこむ「要求インフレ」がどこかにあったとすれば、その源は過去20年間に収入と資産を飛躍的に増やした上位層にある。彼らに有利に作用した減税措置はその代表例だ。その一方で社会の底辺層では賃金と社会保障が停滞し、その水準低下さえ見られた。この発展は、すでに述べてきたように、第1にインフレ、第2に国家債務、第3に「クレジット資本主義」によって生み出された貨幣幻想によって包み隠され、そのつど一時的に正当化された。

 著者は現代の債務国家を、異なる原理で構成された2つの集団としてモデル化している。一つは一般市民(国家の民)で、もう一つは「市場」(市場の民)だ。

「国家の民」は国ごとに組織化され、国家公民として一つの国につなぎとめられた市民からなっている。「国家の民」は国家に対して不可侵の市民権を主張できる。その市民権には、定期的に行われる選挙で選挙民として意思表明をする権利が含まれる。また選挙と選挙のあいだには、自由な意見表明によって「世論」形成に参加し、憲法に基づいて国政を担う代表者たちの決定に影響を及ぼす。これらのことが許されている代わりに、「国家の民」には納税を含む民主主義国家への忠誠義務が課せられており、税金の使用については原則として当該国家組織の自由な決定に任されている。国家公民としての忠誠は、国家による国民の生活保障、特に民主主義的に基礎づけられた社会的市民権保証の対価として理解することができる。
 市民によって統治され、租税国家として市民によって財政的に支えられている国家が、その財政的基盤をもはや市民の出費によって賄えなくなり、その大きな部分を債権者の信頼に依存するようになれば、それは民主主義的な債務国家へと姿を変える。しかし、租税国家の「国民の民」とは異なり、債務国家の「市場の民」は国境を越えて統合されている。「市場の民」もそれぞれの国民国家とは結びついているが、それは市民としての結びつきではなく、単に投資家としての契約法的な結びつきにすぎない。

 「市場の民」は債権を売り払ったり、新規発行債券の競売参加を見送ったりすることができる。国家は債権に対して確実に利払いを行い、将来にわたってもそれを持続する意思と能力を持っていることを確信させることによって彼らの「信頼」を勝ち取り、保持するよう努めなければならない。

多くの兆候は、金融資本が第2の国民として、すなわち「国家の民」と競合する「市場の民」として登場したことによって資本主義と民主主義の関係が新しい段階に入ったことを示唆している。

……債務国家の債務は、自国市民、とりわけ最富裕層から取りそびれた税金を、あるいは紛争回避のために取りたくなかった、ないしはとることを許されなかった税金を肩代わりするために使われている。それによって債務国家への国際的支援は、事実上、債権者への連隊表明と化す。そしてまた、きわめて低率の、しかも新自由主義のもとでますます低率化した税金しか払ってこなかった富裕層への連帯表明と化す。(中略)ちなみに今日の「高所得者層」は、かつてないほど容易に納税義務を逃れることができ、それによって自国に債権を強制することができる。

 だらだらと引用を続けたが、最後に裏表紙の惹句を引いて終わりとする。

 資本主義は自らの危機を「時間かせぎ」によって先送りしてきた。
 70年代、高度成長の終わりとともに、成長を前提とした完全雇用と賃上げは危機を迎えていた。そこで各国はインフレによる時間かせぎ、つまり名目成長に実質成長を肩代わりさせて当面の危機を先送りした。
 80年代、新自由主義が本格的に始動する。各国は規制緩和と民営化に乗り出した。国の負担は減り、資本の収益は上がる。双方にとって好都合だった。
 だがそれは巨額の債務となって戻ってきた。債務解消のために増税や緊縮を行えば、景気後退につながりかねない。危機はリーマン・ショックでひとつの頂点を迎えた。
 いま世界は、銀行危機、国家債務危機実体経済危機という三重の危機の渦中にある。新たな時間かせぎの鍵を握るのは中央銀行だ。その影響をもっとも蒙ったのがユーロ圏である。ギリシャ危機で表面化したユーロ危機は、各国の格差を危険なまでに際立たせ、政治対決を呼び起こした。EUは、いま最大の危機を迎えている。
 資本主義は危機の先送りの過程で、民主主義を解体していった。危機はいつまで先送りできるのか。民主主義が資本主義をコントロールすることは可能か。ヨーロッパとアメリカで大きな反響を呼び起こした現代資本主義論。

 景気は循環し、現在は底にあるのだから今しばらくの辛抱だなどと思っていたが、あるいはH. G. ウェルズの『タイムマシン』の描く世界のように、富裕層と貧困層の固定化が進み、未来は大きくかけ離れた二つの階級に収れんしていってしまうのだろうか。難しいが考えさせられる読書だった。


時間かせぎの資本主義――いつまで危機を先送りできるか

時間かせぎの資本主義――いつまで危機を先送りできるか