小島剛一『トルコのもう一つの顔』と『トルコのもう一つの顔・補遺編』を読む

 小島剛一『トルコのもう一つの顔』(中公新書)と『トルコのもう一つの顔・補遺編』(ひつじ書房)を読む。小島は言語学民族学の専門家。もう50年近くフランスに住んでいる。『トルコのもう一つの顔』は25年前の発行。トルコを研究するようになったのは、「多くの研究者の共同作業が進み、立派な方言地図もできているヨーロッパ諸国の言葉に比べ、トルコ共和国の諸言語は、方言学上ほぼ未開拓の分野であり、研究者にとっては文字通りの宝庫である」からだという。「外国語を介せずにトルコ国民との意思の疎通ができるように、まずトルコ語を習い覚える。やがて、各地の方言を研究する過程で、トルコ語とは無関係な別言語を話す少数民族の存在に気づき、その言語にも惹かれた」。「…フランスに住み続けたまま毎年数回トルコを訪れ、年間通算5、6ヶ月も滞在するということを繰り返して、ある日気づいてみれば17年という年月がたっていた」。
 トルコではヒッチハイクとか長距離バス、また自転車旅など安い移動方法を選び、しばしば野宿もする。トルコ人たちの親切も半端なものではない。彼らの厚い好意に助けられることが何度もある。
 地方を旅してまわっていると、トルコ語以外に70以上の少数民族がいて、それぞれの言語を話していることが分かった。またクルド人がトルコの東部からイラン、イラクにかけて広い地域に住んでいることも分かった。トルコ国民の3分の1がクルド人クルド語を話している。
 ところがトルコ政府はクルド民族というものは存在しないという立場をとっている。クルド語というものもなく、トルコ語の一方言だという。クルド語は印欧語系統の言葉でトルコ語とは関係ないのだが。
 トルコ政府はクルド人少数民族独立運動に神経をとがらせている。公然とクルド語や少数民族の言葉を使っていると警察に連行されたり拷問されたりする。長く刑務所に捕らわれている者もいる。西部の一般市民などは国内にクルド人が存在することさえ否定する。
 そんな国で調査を続ける著者にトルコ政府が気づき、秘密警察を付けたり、また懐柔しようとしたりした。だが著者は自分の方針を貫き、最後に国外退去処分になってしまう。
 途中、憲兵につかまったりして、どうなることかハラハラさせられた。下手なミステリや冒険小説よりはるかに面白い。電車の中で読みながら下車駅を乗り過ごしそうになったりした。
 そして、『トルコのもう一つの顔・補遺編』を続けて読んだ。中公新書が発行された25年後の今年発行されている。「はじめに」によれば、最初の本を作るときに、中公新書編集部から「激高する文書は良くない。一から書き直せ」という要請があり、刊行に漕ぎ着けるために多く書き替えたのだという。その書き替えた個所を見直して、草稿と新書版の表現を並べて比べたものがこの「補遺編」なのだ。いや、中公新書編集部こそ変じゃないかと「補遺編」を読んで思った。校正中しばしば編集部から「表現OK?」と書き込みがあったとあるが、著者に対してそのコメントは失礼ではないか。
 以前、失業中に新潮社の下請けの校正専門会社の校正能力の試験を受けたことがあった。結果は不合格で、試験結果について問うたところ、校正そのものは悪くなかったが、コメントの口調が丁寧じゃないということだった。著者に対して失礼だというのだ。そんなものかと当時は思ったが、私の付けたコメントは中公新書編集部のコメントと比べれば、数倍も丁寧なものだったと思う。中公新書の編集者が新潮社の下請け会社の校正試験を受けたら即不合格だろう。
 この「補遺編」のなかに紹介されている「草稿」を読めば、著者の学識の高さに圧倒されてしまう。

 あるダム工事の現場で働いていたS氏はチェルケズ人だと名乗ったが、民族名は知らなかった。すっかりトルコ語化していて、父祖の言語も単語がいくつか思い出せる程度だった。
 「パンのことをお祖父さんやお祖母さんは何と言いますか」と問うてみた。S氏は、しばらく考えた後、自信なさそうに答えた。
 「『ハロー』だったかな…」
 「じゃあ、あなたはアブゼフ人です」
 「どうしてそんなことが言えるのですか」
 「パンのことを『ハロー』と言うのは、チェルケズ諸語のうちでアブゼフ語だけだからです」

 『トルコのもう一つの顔』はお薦めです。絶対に面白いこと請合います。


トルコのもう一つの顔 (中公新書)

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

トルコのもう一つの顔・補遺編

トルコのもう一つの顔・補遺編