鈴木孝夫『日本語と外国語』(岩波新書)を読む。鈴木はアメリカのホテルでレンタ・カーを呼んだとき、オレンジ色の小型車が行くからと言われた。ところが車はなかなか現れなかった。ハッと気がついて、さきほどから停まっている茶色の車がそれかもしれないと思い、運転手に確認するとまさにそうだった。
それより前に妻がアガサ・クリスティの一節に「……an orange cat on the gate post washing its face……」とあるが、これはどう訳すのかと聞いてきた。「門柱の上ではオレンジ色の猫が顔を手で洗っていた」と訳して、「オレンジ色の猫」とはどんな猫だろうと考え込んでしまった。アメリカでのレンタ・カーの経験と合わせると、オレンジ色の猫とは明るい茶色の猫だった。
この後様々な色について、アメリカやフランスの例をあげて、その国で幅広く使える基本色と、厳密な色彩を指す専門色があると指摘する。アメリカのオレンジ色は基本色なので幅広い色をカバーしている。日本でも交通信号の青を、いやあれは緑だという意見があるが、この時の青は基本色なので青で良いのだと言っている。
基本色みたいなものは国によって違ってくる。オレンジには明るい茶色も含まれる。同じようなことがリンゴの色や太陽の色にもいえる。フランスでは蝶と蛾を区別しない。文化によって言葉の意味も異なってくる。
虹の色は何色かと問いかけ、やはり文化によって7色や6色、さらには3色や2色の地域があるこことを紹介する。鈴木は言葉は世界認識の反映だという。
ついでイギリスを日本人がどこまで理解しているかと問い、イギリス人に馬肉を食べさせようとすることは、イスラム教徒に豚肉を供するに近いという。また犬の肉も出してはならない。イギリスの小学校の運動会の賞品は現金だと教えてくれ、また素足は恥部なのでそれを見せることを極端に恥じる。このような文化の違いは見えないので気づかないことが多いという。
本書の後半は、英語と比較した日本語の漢字の重要性を説いている。従来からある、漢字を捨ててカナ文字の採用を主張する意見を強く否定している。国立国語研究所は、戦後米軍が日本語から漢字を廃してカナ文字表記にすることを目して設立したものだという。
私たちは日本語の少ない音素を有効に利用するために漢字の音訓を利用して現在の使いやすい日本語をつくってきた。これは大変合理的な構造なのだ。
また、日本語では或る音声形態(=単語)がどのような漢字で表記されているかの知識がないと発話が理解できなかったりする。
……ここでいう漢字の知識とは、一点一画までも正確に記憶していなければ困るというほどの緻密なものではない。ある表現を耳で聞いたときに、その表記に用いられている漢字の大体の輪郭というか、およそのイメージが浮かばなくては駄目だということである。
別の言い方をすれば、現在の日本語は、文字表記を考えに入れない音声だけでは、もはや一人立ち出来ないタイプの言語になっているのである。
これに注を付して、日本で文盲がほとんどいないことと関係があるだろうと言う。現代の日本では文字を知らなくては普通の社会生活がほとんど不可能なのである、と。アメリカなどで文盲率が10%あると推定されることは文字依存の小ささを示している、と。
鈴木は感情的にではなくきわめて説得力のある議論を展開している。とても重要な提言だと思う。
- 作者: 鈴木孝夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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