大修館書店『スタンダード佛和辞典』のこと

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 いま読んでいる本にフランス語の単語が載っていた。意味を調べようと本棚から何年振りかで仏和辞典を取り出した。中に新聞記事が挟まっている。書評のようだ。私はしばしば書評を購入した当の本に挟み込んでおく。しかしこの仏和辞典は古く、そんな古い本の書評がどこかに載ったとも思えない。書評は三宅徳嘉『辞書、この終わりなき書物』(みすず書房)に対する毎日新聞堀江敏幸のものだった(2007年3月4日付)。長い書評の一部を引用する。

(……)語学教師をしていると、辞書にはどうしても敏感にならざるをえないのだが、昨年、担当していた初等フランス語の教室に、珍しく鮮やかなオレンジ色の辞書をひろげている学生がいた。ひと目でわかった。大修館書店の『スタンダード佛和辞典』。初学者の頃、さんざんお世話になった辞書である。初版発行は1957年。序文を鈴木信太郎が書いている。75年に増補改訂版が出て、私が購入したのは1982年3月刊の第8版。87年には全面改訂され、表紙の色が芥子色に変わっているけれど、その初版から編集・執筆にかかわって本文の10分の1近くを執筆し、全項目の発音表記、発音解説、動詞の活用と解説を担当したのが、三宅徳嘉である。
 三宅徳嘉は1917年生まれ、学習院初等科、中等科、高等科を経て、38年に東大仏文学に進学した。学生時代の三宅の、とびぬけた語学力と沈着冷静でしかも温厚な人と為りは、加藤周一の『羊の歌』でも触れられている。51年に東京都立大学文学部の助教授となり、同年9月から54年3月までは給費留学生としてパリで研鑚を積んだ。『スタンダード佛和辞典』は、その研究成果を注ぎ込んだ渾身の仕事である。のちに出たフランス本国の辞書がこの辞典の発音表記を参考にしたと言われているほど画期的なもので、戦後のフランス語教育、フランス文学研究は、この辞書からはじまったといっても過言ではない。(中略)
 ところで、先の学生の辞書は、彼の母親が学生時代に使っていたものだった。表紙の裏には、旧姓の名が美しい手跡で記されている。汚れなき辞書を息子に手渡す。これもありうべき学の継承のひとつと言えるかも知れない。

 ここに紹介されている『スタンダード佛和辞典』が私の持っている辞書だった。はて、なぜ私がこれを持っているのか? 表紙裏に最初の持ち主の名前が書かれている。彼は大学に進学したものの家業を継ぐべく退学させられ、いらなくなった辞書を従妹が大学入学したのを機に与えたらしい。その従妹と一緒になった私に彼女=妻がくれたものだった。1967年3月25日第15版発行とある。初版から10年で15版を重ねたのはやはり評判が良かったのだろう。定価1300円は現在では8000円くらいではないか。小型辞書としては高価だったと思う。さてわが辞書の3代の所有者は誰も学を継承しなかった。

 

辞書、この終わりなき書物

辞書、この終わりなき書物