白井聡『永続敗戦論』を読む

 白井聡『永続敗戦論』(講談社α文庫)を読む。同じ著者の『国体論』の評判が良くて購入したが、前著である『永続敗戦論』を去年買ったのにまだ読んでなかったので、これから読んでみた。
 日本は1945年8月15日にポツダム宣言を受諾して連合国に敗戦した。それをわれわれは終戦と言い慣わしているが。白井はその敗戦が現在まで永続しているという。白井はこの「永続敗戦」について次のように言う。

……こんにち表面化してきたのは、「敗戦」そのものが決して過ぎ去らないという事態、すなわち「敗戦後」など実際は存在しないという事実にほかならない。それは、二重の意味においてである。敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。無論、この二側面は相互を補完する関係にある。敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況を私は、「永続敗戦」と呼ぶ。

 戦後の日本の抱える3つの領土問題(尖閣列島北方領土竹島)はこれから発している、としてその問題を詳しく分析している。今まで曖昧だった領土問題がとても明確に理解できた。とは言え、複雑な問題であることは変わらないので、私がここで簡単に要約することはできない。ぜひ本書を読んでほしい。
 さらに戦前のレジームの根幹が天皇制だったとして、戦後のレジームの根幹は永続敗戦だという。永続敗戦のレジームが、日本の親米保守勢力と米国の世界戦略によって形づくられたこと、それが可能になった系譜を吉田茂の意図に反して昭和天皇が「時に吉田やマッカーサーを飛び越してまで、米軍の日本駐留継続の「希望」を訴えかけたことによる」結果だったという。

「要するに、天皇にとって安保体制こそが戦後の「国体」として位置づけられたはずなのである」。そしてこのとき、永続敗戦は「戦後の国体」そのものとなった。

 国体とは何かと問い、白井は里美岸雄や片山杜秀を援用して、国体とは「端的に言えば犠牲を強いるシステムだ」という。
 とても興味深い内容だった。白井の『国体論』(集英社新書)を読むのが楽しみだ。