誰が絵が分かるのか?

 誰が絵が分かるのか? ちょっと考えると画廊のオーナーかなあと思う。特に美術作品を売買して経営をしている企画画廊のオーナーではないかと。でもそれは違っている。企画画廊のオーナーは優れた美術作品を見分けるのではなく、現在からちょっとばかり先の将来に売れる美術品は何かということを考えている。本当に優れた美術は何かということではなく。しかしそれは仕方ないことでもある。美術品の売買で経営を成り立たせるためには絶対に必要なことだから。
 まだ加藤泉が無名だったころ、勝手に彼のファイルを作って企画画廊を訪ねて売り込みを図っていたことがあった。しかしどこの画廊でも相手にしてくれなかった。その後アラタニウラノが開廊記念展に加藤を取り上げ、初日に3,000万円完売したことは皆知っているとおりだ。ことほどさように企画画廊のオーナーたちは目がないのだった。
 むしろ貸画廊のオーナーの方が純粋に作品に向き合っていて、意外にもよく分かっていることが多い。また美術作家も優れた理解力を持った人が多い。美術作家はいつも美術作品のことを考えているからだ。
 では美術評論家はどうか。40〜50年前は御三家と呼ばれた美術評論家たちがいた。針生一郎中原佑介東野芳明たちだ。みなすでに亡くなってしまったが。その次と思っていた篠田達美は病気で倒れて再起不能のままだし、山梨俊夫は美術館行政に専念してあまり発言をしていない。椹木野衣は広く美術一般について発言することはないようだ。講談社のPR誌『本』の表紙の現代美術について長く解説してきた高階秀爾はさすがという文章を綴ってきたが、以前の御三家のように統率するような発言はしていない。
 ではコレクターはどうかと考えると、これまたあまり高く評価はできない。
 そんな風に言っていると美術品に絶対的な評価軸があるように思われるが、これまた時代によって変化している。戦後世界を席巻したポロックやバーネット・ニューマンやマーク・ロスコなど、アメリカの抽象表現主義、またウォーホルなどのポッポアートは、いずれ大幅に評価を下げるだろう。そのことは30年くらい前に宇佐美圭司が予言していたことだ。
 では美術品の価値とは何だろうか………。