河内春人『倭の五王』を読む

 河内春人『倭の五王』(中公新書)を読む。倭の五王とは中国の史書宋書倭国伝に記された讃・珍・済・興・武を言う。当時5世紀に日本から中国の天子へ書を送った王たちだ。そのことは『日本書紀』や『古事記』に記載がなく、5人の王たちは日本のどの天皇に当たるのか、昔からさまざまに比定されてきた。
 戦後の藤間生大倭の五王』(岩波新書)が有名だが、『宋書』に記載されている5人の血縁関係が当時の天皇たちの誰の血縁関係とも矛盾し、誰が誰だかわからないでいる。河内は比定を急がない。4世紀後半の東アジア情勢を分析し、五王の最初である讃の使節派遣の意味を探る。当時の東アジアから朝鮮半島の情勢との関係から使節派遣の理由を解き明かす。さらに、珍や済、興の意図も明らかにしている。五王最後の武に至って初めて大将軍の称号を得たこと、そこまでが前半をなす。
 後半第4章から、倭の五王の比定が始まる。だが河内は安易に当時の天皇の名前を出さない。とても慎重な手つきだ。仕方がない、決定的な証拠がない状況なのだから。そして5世紀の大和盆地には複数の古墳群があったことを指摘する。そのうち、百舌鳥(もず)古墳群と古市古墳群を根拠としていた豪族たちが五王の天皇だったのだろうと。そして河内は書く。

 倭の五王が記・紀の天皇系譜のなかで誰に該当するのかという問題は、倭の五王が語られるようになってから一貫して中心的な問題であった。
 しかし、天皇系譜は5世紀以来、政治的変動や歴史書の編纂のなかで追加や削除が繰り返されてきたものである。それをふまえずに誰に当てはまるかを議論しても、それは実りのある結論を生み出すことはない。倭の五王は、記・紀に拘泥せずにひとまずそれを切り離して5世紀の歴史を組み立ててみる作業が必要なのであり、本書はそのための露払いである。

 倭の五王の問題こそ、古田武彦の九州王朝論から解き明かされることを疑うものではない。本書も巻末に100点を越える参考文献が付いている。しかしその中には古田武彦の論文はない。いずれ古田説が主流になるだろうことを信じている。