中沢新一『アースダイバー 東京の聖地』を読む

 中沢新一『アースダイバー 東京の聖地』(講談社)を読む。2005年に発行された前著『アースダイバー』は、現代の東京が縄文時代の地形と密接な関係を持っていることを解き明かしたものだった。その後『大阪アースダイバー』も発行されたが、これは読んでいない。
 本書もその延長上にあるのだろうと思って読んだが、いささか違っていた。東京の聖地と銘打って魚市場の築地と明治神宮を取り上げている。どちらも大正から昭和初期に開発された場所で、築地などは家康以前には海だった場所だ。
 まず築地が豊洲に移転することを受けて、そのことの可否を問うために書かれたようだ。魚河岸は江戸時代には日本橋にあった。明治政府が日本橋を東京の表玄関にと考えてその移転を企画した。反対論も多くなかなか実現できなかったが、関東大震災日本橋の魚市場が壊滅的な打撃を受け、それを機に一気に築地移転が実現した。築地の市場は仲卸が活躍する体勢が整って成功して現在に至っている。本書はそのあたりのことに多くを費やして、築地の魚市場がどんなに成功しているか説得してくれる。このあたりの歴史もよく分かった。
 それを豊洲に移転することの問題点を指摘していて、なるほどとも思わせる。仲卸業者の活躍が削がれて今まで通りの魚市場の存続が可能なのか、食の伝統は守られるかと問題を提起している。
 明治神宮についても、オリンピックの競技場が外苑の国立競技場に接して作られることになったことがこの項の執筆の動機に思える。ザハ・ハディドの提案した巨大な競技場案に対して、それが外苑の環境を大きく損なうと批判している。中沢は明治神宮の内苑と外苑の関係が、伊勢神宮の内宮と外宮の関係、ひいては古墳の前方後円墳の形にも関係していると主張する。前方が内苑であり、後円が外苑だという。この辺り牽強付会の印象を否めない。
 中沢は建築家の伊東豊雄との対談を載せている。伊東はザハ・ハディドの提案が没になったあとで改めて国立競技場案を提案し、結果的に不採用になった。この辺りが本書の成立の最初の動機であって、その後明治神宮論が書かれたり築地論が書かれたのではないか。それに「アースダイバー」の名前を付したのは編集部の方針かも知れないが。
 あまり釈然としない読書だった。



アースダイバー 東京の聖地

アースダイバー 東京の聖地