吉村武彦『蘇我氏の古代』を読んで

 吉村武彦『蘇我氏の古代』(岩波新書)を読む。蘇我氏が歴史に登場するのが蘇我稲目からで、宣化天皇の時代になる。大臣に就任している。宣化は継体の子にあたり、次の天皇が欽明になる。稲目は娘を欽明の妃にし、天皇外戚の地位にあって、政治的影響力を行使した。稲目の子が馬子になる。馬子が仏教を受容した。馬子はまた用明天皇の没後、次の天皇をめぐって物部守屋を殺害し、用明の弟である崇峻が位についたが、馬子と対立し崇峻は暗殺された。ついで立ったのが推古天皇だった。推古は馬子の姪にあたる。
 馬子が病没し、その子蝦夷が大臣になる。推古の没後、舒明が次の天皇となる。舒明の没後、舒明の皇后であった皇極女帝が皇位を継ぐ。この頃から蝦夷・入鹿父子の専横がひどくなる。
 皇極4年、中大兄らによって入鹿が暗殺される。ついで蝦夷が自尽した。ここに蘇我本宗は滅びた。蝦夷が自尽した翌日皇極が譲位し、孝徳が即位した。
 題名にあるとおり、実にていねいに蘇我氏一族の歴史を綴っている。そういう意味では優れた仕事と言うべきなのだろう。でも、つい田村隆一の詩の一節を思い出してしまう。「時に天才も現われたが虚無を一層精緻なものとしただけであった」というあれを。時に秀才も現われたが瑣事を一層精緻なものとしただけであった、なんて書いたら言いすぎだろうけれど。歴史の細部は重要で、瑣事なんて貶めてはいけない、分かってはいるけれども。
 ただ従来の古代史観で歴史をみれば、倭の五王の系譜の支離滅裂さや、多利思比孤がなぜ突然隋の煬帝に失礼な国書を送ったのか説明できない。それらはすべて古田武彦の九州王朝説を受け入れて初めて矛盾なく理解できることなのだ。そんな思いを傍らに置きながら読んだので、少々歯がゆい思いのする読書だった。


蘇我氏の古代 (岩波新書)

蘇我氏の古代 (岩波新書)