倉本一宏『蘇我氏』を読む

 倉本一宏『蘇我氏』(中公新書)を読む。副題が「古代豪族の興亡」となっている。継体天皇の次に立った欽明天皇の時代頃、蘇我稲目が登場、欽明王権を支えることで権力を握った。欽明に娘を嫁がせ、そこに生まれた用明天皇崇峻天皇推古天皇外戚となることで倭王権の実力者となる。
 稲目の死後蘇我馬子が後を継ぐ。馬子は崇峻を殺害し、推古が即位する。そののち馬子は50年もの間政権を担い、76歳で亡くなった。次いで推古天皇が亡くなり、馬子の後を継いだ蘇我蝦夷が次期天皇の選定に関わったが会議は混迷する。ようやく舒明が即位する。そしてその後を継いだのは皇極天皇だった。この頃蝦夷の息子の入鹿が活躍しはじめる。
 入鹿は次の天皇に古人大兄王子の擁立を企むが、中臣鎌足葛城王子(中大兄王子)と組んで、入鹿を誅殺する。蝦夷も自尽する。こうして蘇我氏は亡んだとなっているのが一般的な歴史理解だと倉本は書き、しかし実際は亡んだのは蘇我の本宗家だけであって、一族はその後も政権内部で存続していたということを主張しているのが本書だ。
 蝦夷の弟の倉麻呂の子、石川麻呂が政権内部で重用され、その子孫に持統天皇元明天皇元正天皇聖武天皇が出ている。しかし天皇に選ばれたのはここまでで、入鹿を殺した鎌足藤原氏として、蘇我氏の地位を自分のものとして、以後平安時代までとりしきることになる。
 倉本は本書の半分を使って、蘇我氏一族のその後を実にていねいに調べ上げる。時代を経るとともに蘇我一族の地位は下がる一方となる。名も蘇我から石川、田口、桜井、小治田、川辺、岸田、御炊などと広がっている。ようやく9世紀になって、石川が宗岳(ソガ)氏へ改姓している。宗岳は後世訓読みしてムネオカと読むようになり、宗岡、宗丘などの字も充てられるようになる。
 実に細かく蘇我氏の没落の行方を調べている。ただ専門家はともかく、一般読者としてはあまり興味深く読むことができなかった。
 

蘇我氏 ― 古代豪族の興亡 (中公新書)

蘇我氏 ― 古代豪族の興亡 (中公新書)