アーサー・ビナードの危惧

 アメリカ出身の詩人アーサー・ビナードが「日本語は破滅に向かっている」と危惧している記事が毎日新聞に掲載されていた(2017年11月29日)。

 大好きな宮沢賢治の詩など美しい日本語がいつまでも残ってほしいと願うビナードさんにとって一番の気がかりは日本語の衰退だ。「言語の延命には二つの条件がある。民族のアイデンティティー、平たく言えば自国に根づく心と、その言語による経済活動です。でも日本ではいずれも弱まっており、日本語は消滅に向かっている」とみる。
 経済が日本語をどう衰えさせるのか。「来日以来、経済を語る言葉が劇的に英語、カタカナばかりになった。『先物』くらいは残っているけど」
 デリバティブといった用語だけでなく、日常会話でアウトソーシングやインバウンド、デフォルトといった言葉を当たり前のように私たちは使う。経済だからいいかと思っているが、「米国の先住民の言葉が絶滅に向かったのは、貨幣から時間の表記、契約まで何もかも英語を強いられたから。中身や衝撃度がわかっていないのにTPP(環太平洋パートナーシップ協定)という言葉だけが独り歩きし、わかった気分になっているうちに、チチンプイプイとだまされる」。日本語が追いやられるだけでなく、人が自分の言葉で考えなくなるという危惧だ。
 でも日本と植民地の先住民とは違うのでは。そう応じるとビナードさんはこう言った。「日本は属国のままで、米国から独立しているとは思えないから」
(中略)
 そして、文部科学省による小学校の英語教育。「英語を学ぶのはいい。でも僕が見るに、日本語は英語より劣っているという印象を子供たちに無意識に植えつけている気がする。文科省の英語教育は中高を見ればわかる通り悲惨だから、二流の英語人が育っていく。日本語力が弱まり、きちっとした言葉を持たない民があふれる。そんな愚民政策に対する議論がもっとあっていいのに、本当に少ない。このままでは『飛んで火に入る日本語の虫』だよ」

 カタカナ英語の増殖が目立っている。広告の世界やファッションの世界、マスコミなどにカタカナ英語が目立っている。そのほとんどに必要性が認められない。カタカナ英語=外来語の多用をもうやめる時ではないだろうか。日本語がどんどん貧しくなっている印象がある。このままでは本当に「日本語は破滅に向かっている」ということになるだろう。
 おおざっぱに言って、日本語がピジンイングリッシュ化しているということだ。ピジン言語について、Wipipediaでは、

ピジン言語(ピジンげんご、Pidgin language、または単にPidgin)とは、現地人と貿易商人などの外国語を話す人々との間で異言語間の意思疎通のために互換性のある代替単語で自然に作られた接触言語。
英語と現地の言語が混合した言語を「ピジン英語」といい、英語の“business”が中国語的に発音されて“pidgin”の語源となったとされている(諸説ある)。
例えば、“Long time no see.”(「お久しぶり」)は明らかに英語の構造を持っていないが、それなりに意味が伝わる(インディアン・ピジンAmerican Indian Pidgin Englishの一例)ので多用されている。

 ピジン言語がそのまま使われて、次の世代になるとクレオール語と呼ばれる。カリブ海のハイチはフランス語と現地の言葉のクレオール語だという。
 田中克彦クレオール語と日本語』(岩波書店)によると、日本も幕末の横浜と戦後すぐのアメリカ軍基地の周辺でピジン英語が使われていたと言う。後者ではアメリカ兵と付き合っている日本の若い女性(パンパンと呼ばれた)が「ミーはね、ウォント・マニーなのよ」などと言っていたと紹介されている。ピジン語は「その場かぎりのコミュニケーションを何とかきりぬけるためのやりくり言葉」なのだ。
 どうやら現在、日本では3カ所めが記録されそうだ。主に東京や大阪など都市部を中心とした地域で、使用している階層は新しいものが好きなインテリ層と無反省な若年層のようだ。


クレオール語の例(2010年2月24日)