沼野允義の書評から

 毎日新聞に沼野允義が阿部公彦『史上最悪の英語政策』(ひつじ書房)と鳥飼玖美子『英語教育の危機』(ちくま新書)の書評を書いている(1月21日)。
 阿部の本は大学入試の改革に焦点を合わせた緊急提言だという。入試改革ではスピーキング(話す能力)もテストする。つまり「読む・書く・聞く・話す」の4技能をすべて測ることになった。しかし今提唱されている「4技能」主義はほとんど「カルト教団の教え」(!)のような意味不明さだとのこと。スピーキングは従来の試験では扱いにくいので、外部委託=民営化して、TOEICなど民間の試験を使うことになった。外部試験を導入したら、受験生は受験テクニック習得に走るだけで英語力の向上につながるという保証はない。またその対策のために予備校に通うなど受験生の親の負担が増え、裕福な家の子が有利になって社会的格差が拡大する。
 鳥飼の本では、文科省はこの30年ほど頻繁に改革を重ね、その結果、現在の中高の英語教育は文法・訳読偏重をやめ、英会話に向けて舵を切っている。近い将来は中学でも、英語の授業は日本人教師であっても「英語で行うことを基本とする」となっている。しかし、鳥飼は、これだけ会話や実用性を重視しながら、その成果が一向に上がっていないのはなぜかと問う。言語環境も教える人材も整っておらず、限られた授業時間数で無理に会話重視に踏み切ったため、肝心の基礎がおろそかになって、本当の意味での英語力が落ちつつあると言う。
 以上、2冊を紹介してきて、最後に沼野が「個人的な考えを付け加えておく」として書いている。これがとても興味深い。

「ペラペラ信仰」などそろそろ捨てるべきではないか。英語教育改革の議論で乱発される「コミュニケーション」という言葉もあまりに空疎。人間どうし、特に立場が異なる人の間や異文化間のコミュニケーションというのは、英語で「買い物ごっこ」ができる、といった次元のことではない。
 そもそも、どうしてスピーキングを大学入試でテストしなければならないのか? 高校までに学ぶべきもっと大事なことはないのだろうか?
 英語ばかりに力を注げば、当然、他の教科が手薄になるだろう。日本語できちんと他者と話し合い、理解し合う能力と、そのために必要な人間としての教養を身につけさせるのが先ではないか? いまの政治家たちを見ているとつくづくとそう思う。このままでは、英語がペラペラになる前に、日本語が滅びますよ! それに、どうして英語だけなのか? 中国語や韓国語やロシア語ができる人材の育成にも少しは力を入れないと、国益を損なうのではないか?

 全くおっしゃる通りだと思う。


史上最悪の英語政策?ウソだらけの「4技能」看板

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英語教育の危機 (ちくま新書)

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