『磯崎新と藤森照信の茶席建築談義』を読む

  『磯崎新藤森照信の茶席建築談義』(六曜耀社)を読み終えた。2人はこの後 『磯崎新藤森照信モダニズム建築談義』を出版しており、先日そちらを先に読んだが、このモダニズム建築についての対談の方がおもしろかった。とは言え、茶席をめぐって縄文時代から語るこの対談も興味深く、古代から現代まで語り切る二人の教養の深さにただただ圧倒された。
 興味深かったエピソードを拾う。

藤森  (……)村野(藤吾)さんは、親が貧しくて漁師のもとに里子に出されたので、小学校に行っていなかったんです。生みの親は、八幡製鉄で下層労働者として働き、学校に行っていないのを見かねて引き取ったんだけど、村野さんは漁師の育ての親への思いはずっと捨てられなかったそうです。その結果、誰も信じない人になった。村野さんの息子さんが「父くらい寂しい人はいなかった。友達が一人もおらず、訪ねてくる人はすべて仕事を意識した人だった」と言っていました。

 文人の条件について、

藤森  (……)文人と呼ばれるような人たちは、ちなみに「文人」というのは宋の時代の言葉なんだけど、絵を見ると彼らは庵のようなところに暮らしています。台湾のインテリのおばあさんに聞いたんだけれど、戦前、文人の条件は三妻四妾って言われていた。つまり、大地主としての田舎の本邸に三人の奥さんがいて、街に四人のお妾さんがいるような人じゃないと、文人として実際には成立しなかったそうなんです。

 書院と数寄屋について、

磯崎  (……)大工の系統で言うと数寄屋大工と宮大工は全く違うわけでしょう。宮大工は体系化されていて全部それでいける。でも数寄屋大工というのは、僕は基本的に叩き大工だと思う。プリンシプルがない。(……)宮大工が正統クラシックだとすれば、オーダーや細部まで崩してしまうフリースタイルが数寄屋だと思うんです。

磯崎  (……)数寄屋は(……)インテリアしかないわけでしょ。一方、書院は形式だけしかない。数寄屋大工は、茶人が俺の好みでやれと言うのを受けている。その応答のできる能力が数寄屋のよさだと思うんですね。

磯崎  そうした数寄屋を嫌う建築家がいます。丹下(謙三)さんがそうだし。大江(宏)さんもそう。いちばん興味深かったのは浜口隆一さんで、伝統論争のときに書いているんだけど、アメリカ人が数寄屋がいいと言い、自分もそう思うけど、そういう自分が嫌だと。数寄屋がいいと思うような自分を嫌っている。

 戦後のモダニストが数寄屋を嫌うのは、気分としての甘さがあるからだと磯崎が言う。だけどその甘さがないと料亭にはならないし、お妾さんの家としても落ち着かない。

藤森  遊郭も数寄屋でないとつまらない。数寄屋は緊張感の必要なところでは駄目なんですね。なるほど、分かりやすい。これは面白い問題で、伊東豊雄さんなんか「数寄屋をやるやつは許せん」みたいなことを言う。僕もやっぱりちょっと。大江先生はとにかく寺でも神社でも書院でもいい、民家もいい、だけど数寄屋は嫌だって。
(中略)
 普通の人に聞かれて困るのは、数寄屋造と書院造の違いはどこかって。(……)いちばん分かりやすいのは長押がまわっているかいないかで判断する。長押は鉢巻みたいなもんだから、きりりとしているのが書院造。そうでないのが数寄屋と思えと言っていますけど。でも中間があって厳密には分けがたい。

 中国のお茶について、磯崎が、岩茶で「大紅ほう」という銘柄があると言う。毛沢東の生家の近所にあった木から採れたもので、何千年か岩山の中にあったお茶の木が2本か3本、いまだに残っている。この木から分木して継木したものが今の「大紅ほう」で、1袋何千万円するという。磯崎は飲んだけれど全然おいしいと思わなかったと。
 最後に「対談余禄 あとがきにかえて」で、二人が別々に書いている。それぞれ簡単に総括しているが、藤森の文章はとても分かりやすく明快だ。それに対して磯崎の文章はきわめて難解だ。難しく考えてしまうのが磯崎のクセなのだろう。だから対談という形式は磯崎の考え方を知るのにとても良いと思う。


磯崎新と藤森照信の茶席建築談議

磯崎新と藤森照信の茶席建築談議