藤森照信著『藤森照信 建築が人にはたらきかけること』(平凡社)を読む。平凡社の「のこす言葉」というシリーズの1冊。藤森が自分の歴史を語っているとても分かりやすい自伝。
藤森は現茅野市の山間の小さな村に昭和21年に生まれた。そこは小さな扇状地にあって戸数70戸ほどの集落だった。藤森家は江戸時代は庄屋の分家で村ではそれなりの家だった。お父さんは長野師範(現信州大学教育学部)に行って教師になっていた。お母さんが上諏訪の出身で諏訪地方では一番大きい棟梁の娘だった。村の人にとって諏訪大社の信仰は疑うことのないものだった。藤森も自分の信仰は自然信仰だという。
生まれた古い家を藤森が小学校2年の時に建て替えた。母のおじさんは建築家になっていたので、おじいさんの一番弟子だったおじいさんが作業をした。そのことと、建築家になったおじさんの息子、つまり年上の従兄が早稲田の建築に行ったりしていて、藤森が東北大学に入るとき建築の道を選んだ。
高校時代文学に関心が高かった。大学の建築学科は施工ではなく設計する人の教育をもっぱらやっていることを知った。そこで文学への関心もあり、建築史をやろうと思った。歴史をやるなら近代建築(明治以降の建築)をやろうと思った。
明治建築関係の卒論を書いて卒業し、村松貞次郎のいる東大大学院へ進んだ。そして近代建築史の通史を書こうと決めた。そのために3つの目標を立てた。「すべての資料を読むこと」、「建物を全部見ること」、「それらの建物に関連した主な遺族全員に会うこと」、それを同じ村松研究室の堀勇良さんと一緒にやった。
藤森の言葉。
建築家が設計する住宅は日本の住宅全体のわずか数パーセントで、あとはハウスメーカーや工務店が作る住宅やマンションが大半を占めています。
なぜか。住宅が無意識の器だから。一方、建築家が設計するモダニズム建築は意識の器です。(中略)
(人間は)意識的な世界と意識的でない世界を行ったり来たりして、毎日なんとかバランスをとっている。意識的な世界を脱し、無意識の自分を受け入れてくれるのが住宅です。だから建築家個人の表現なんてあっちゃいけない。他人の表現なんて必要ない。そういうものとしてずっと住宅はあったし、今も基本的には続いています。
とても楽しい読書だった。ところどころに挟まれる藤森設計の建物の写真も興味深い。たねやグループの「ラ コリーナ近江八幡」と「多治見市モザイクタイルミュージアム」はできれば行って見てみたい。