長野県飯田市に焼肉屋が多いわけ

 先ごろ、長野県飯田市が全国で一番焼肉屋が多い町として紹介された。人口1万人当たりの焼肉屋の数が、2位北海道北見市、3位三重県松阪市を抜いて飯田市が全国1位だという。飯田市ではコンビニの数より焼肉屋が多いそうだ。なぜ長野県の小さな町がトップなのか。
 ネットで見ると、戦争中に満蒙開拓に行った人たちが満洲ジンギスカンを憶えてきたからだと書かれている。飯田市近辺の農村は、満蒙開拓に熱心だった長野県のなかでも特に多く満洲に開拓民を送っていた。その人たちがあちらでジンギスカン料理を憶えてきたというのは事実だろう。私も飯田市郊外の農村で生まれ育ったが、子供の頃からジンギスカンを食べていた。あの特殊な形のジンギスカン鍋がどこの家庭にもあったことを憶えている。
 しかしもう一つ大きな理由があったと、友人の原英章君が教えてくれた。彼は飯田市歴史研究所の市民研究員で、飯田の地域史を研究している。とくに満蒙開拓団の研究が専門だ。彼によれば戦争中、飯田市の南の天竜川に平岡ダムが作られた。その工事のために朝鮮から大勢の人夫が連れてこられた。彼らは飯場みたいなところに住まわされ、ダム工事にあたった。戦後多くの朝鮮人たちが工事の終わった飯田を離れて行ったが、その時もともとの住人(日本人)に焼肉料理を教えてくれた朝鮮人がいた。何を教えたのか? 焼肉のタレのつくり方だ。飯田の人々が知らなかった焼肉のタレ。肉を焼きニンニクを効かせたタレに漬けて食べる料理法を朝鮮からきた人たちから教わった。
 しかし、もともと労働者として連れてこられた彼らが裕福なわけはなく、焼肉料理といってもそれは内臓=もつ焼き料理が中心だった。それも新鮮な内臓ばかりではなかったろう。ふんだんにニンニクを使ったタレが欠かせなかったのではないか。飯田地方にはニンニクを使って臭みを隠す技術はなかったと思う。
 現在飯田市内に焼肉屋が多いのは事実であるが、正確にはもつ焼き料理が多いというのが重要だろう。もつ焼きのことを飯田地方では「おたぐり」と呼んでいる。最近はジビエ料理屋もできてきたようだが。