二笑亭奇譚の墓

 以前ここで二笑亭という不思議な建築を紹介した。渡辺金蔵が建てたきわめて奇妙な住宅だった。それはすでに取り壊されて当時の写真と最近(といっても20数年前)作られた模型しか残ってないが。ただ詳しいことは式場隆三郎二笑亭奇譚』(求龍堂、のちにちくま文庫)に記録されている。
 建物は残っていないが、渡辺金蔵が作った渡辺家の墓が残っているという。式場隆三郎二笑亭奇譚』(求龍堂)に収められている隆三郎の息子の式場隆成の「二笑亭主人遺文」から、

 過日、この本の執筆者でそろって渡辺金蔵の墓参りに行ってきた。場所は深川の玉泉院というお寺。四方を塀で囲まれた中に、百基ほどの墓標が肩を寄せあっている小さな墓所なのだが、渡辺家の墓は、その一番奥、歴代住職墓の並びという一等地を陣取っていた。そして、それは、何とも、すごいとしかいいようのない、まぎれもない二笑亭の”遺作”だった。
 その墓は、広さ1坪はあろうかと思われる、信じられない大きさの一枚岩の上に建っていた。まるで身を起こした棺のように奥行の深い墓碑。両側に奇妙な脚部をしたがえた台座。両脚の膝にあたる部分には、二笑亭のトレードマークというべき「石」文字の浮彫があった。そして台座に備えつけた水鉢の正面には、豊氏のところで見せてもらったことのある「渡辺」の花押が刻んであった。(中略)
 清水さんに手伝ってもらって、敷石の面積を測った。110×272=29,920平方cm。江戸間なら、ほぼ2畳になる。茶室畳の基本は京間だときいたことがあるが、この際、厳密なところは岸(武臣)君にまかせておけばよい。それより、この墓はたぶん――茶室である。
 そう思ってあらためて眺めてみると、墓の構成が何をあらわしているのかよくわかった。墓碑が人間の上半身にあたるなら、台座は下半身、その両側から前へ突き出しているのは、まっすぐそろえて座った両足なのだ。
 二笑亭の墓は正座していた。正座して茶を点てていた。両膝の間の水鉢が、おそらく茶碗のつもりだろう。
「まるで誰か客を待っているみたいですね」と赤瀬川(原平)氏が言った。
 たしかに、そんな印象だった。埋立て地の墓所の小さな一角で、永遠に訪れるはずのない客を待ち続ける孤独な石の夢。ひょっとすると、渡辺金蔵が十数年間、二笑亭の建築を通じて実現しようとしていたのも、そんな異端の茶事であったのではないだろうか。(後略)


 いや、そこまで言ったらうがち過ぎという気もするが。誰もいない墓地で墓に手を合わせてきた。


二笑亭という奇妙な建物(2015年5月8日)



定本 二笑亭綺譚 (ちくま文庫)

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二笑亭綺譚―50年目の再訪記

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