嵐山光三郎『文人御馳走帖』(新潮文庫)を読む。嵐山は新潮文庫ですでに、『文人悪食』『文人暴食』『文人悪妻』『文士の料理店』などを出している。この悪食と暴食は面白かった。悪妻はまあまあ、料理店は読んでいない。だいたいにおいて嵐山のエッセイは面白いものが多い。だから本書御馳走帖も期待して読んだ。がっかりした。甲乙丙の3段階評価で丙、5段階評価で★2つ、といったところか。
鴎外、露伴、子規から始まって、安吾、檀一雄まで18人の文士を取り上げ、それらの文士が書いたエッセイなどから食べ物に関する部分を抜いて紹介している。短いものは種田山頭火や高村光太郎、萩原朔太郎の各2ページ、長いものは芥川龍之介の短篇「芋粥」全編(32ページ)や稲垣足緒の短篇「チョコレット」(38ページ)などがある。しかし、なぜこれらが選ばれたのかほとんど面白くない。最初の鴎外の「戦時糧餉談」や「服乳の注意」などは読むのも苦痛だった。
それでも、なかでは子規の語る大食のエピソードがやや面白かった。
(……)大きな梨ならば6つか7つ、樽柿ならば7つか8つ、蜜柑ならば15か20位食うのが常習であった。
子規が信州に旅行したとき、木曾では山と川の間の狭い地面が皆桑畑だった。大きな桑には真黒な実がおびただしくなっていた。
余は其を食い始めた。桑の実の味はあまり世人に賞翫されぬのであるが、其旨さ加減は他に較べる者も無い程よい味である。余は其を食い出してから一瞬時も手を措かぬので、桑の老木が見える処へは横路でも何でもかまわず這入って行って、貪られるだけ貪った。何升食ったか自分にもわからぬが兎に角其が為に6里許りしか歩けなかった。寝覚めの里へ来て名物の蕎麦を勧められたが、蕎麦などを食う腹はなかった。
この部分が面白い箇所になる。なぜこんな企画を通したのだろう。もうネタが尽きたということか。
- 作者: 嵐山光三郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/07/28
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (1件) を見る