『カッパ・ブックスの時代』を読む

 新海均『カッパ・ブックスの時代』(河出ブックス)を読む。新海は1975年早稲田大学を卒業して光文社に入社し、カッパ・ブックス編集部に配属される。その後月刊誌『宝石』編集部に移り、再び1999年から2005年の終刊までカッパ・ブックスの編集に携わる、とカバーの袖の著者略歴に書かれている。カッパ・ブックスの歴史を内側を知っている編集者が書き留めたもの。
 カッパ・ブックスはすでに伝説の「戦後最大の出版プロデューサー」神吉晴夫が作った光文社の新書の名前。神吉は戦後岩波新書に対抗してカッパ・ブックスを立ちあげ、大学生と小中学校の教員を読者に想定した岩波新書に対抗して、アンチ教養主義、非インテリ層の読者を対象に創刊した。著者も書くように「カッパ・ブックス」とは戦後のベストセラーの代名詞だった。
 カッパシリーズには6つのブランド(ブックス、ノベルス、ビジネス、ビブリア、ホームス、サイエンス)があり、ミリオンセラー(100万部以上売れたもの)は17冊もあった。書名をあげると、『英語に強くなる本』『頭の体操 第1集』『同 第2集』『同 第3集』『同 第4集』『姓名判断』『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』『民法入門』『冠婚葬祭入門』『続冠婚葬祭入門』『日本沈没(上)』『日本沈没(下)』『にんにく健康法』『悪魔の飽食』『「NO」と言える日本人』となる。私も『頭の体操 第1集』『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』くらいは読んでいる。とくに『頭の体操』は全24集でシリーズ累計1,200万部以上発行したという。
 本書はカッパ・ブックスの誕生からミリオンセラーの続出、神吉社長の退陣、労働争議、低迷〜終焉を経時的にたどって記述している。それにしてもミリオンセラーの続出なんて、普通の出版社では夢のまた夢だろう。壮観だったとしか言いようがない。本書によれば、それは社長神吉の卓越した戦略によっている。しかし、労働争議などで、優秀な編集者が次々に会社を去り、彼らが独立したり、他社に転職したりして、カッパのDNAがよそに移っていく。親会社の講談社から重役が送り込まれる。
 カッパのDNAが移った出版社としては、祥伝社ノン・ブック、ごま書房ゴマブックス、KKベストセラーズワニブックス青春出版社プレイブックス、徳間ブックス、ネスコブックス等々がある。
 カッパ・ブックスのすごさは、10万部に達しないと本ではないと半ば本気で言われていたということだ。それがどんなに途方もないことか、出版社に関係した者なら誰だって分かるだろう。
 しかし、『悪魔の飽食』に関してしつこく攻撃してきた右翼に金を払って解決したらしいこと、「その結果」深沢七郎の『風流夢譚』では中央公論社社長宅を襲った右翼によってお手伝いさんが刺し殺されることになった。光文社の金で解決した軟弱な対応がこの結果を招いたとはっきり書かれている。
 やがてカッパ・ブックスの退潮の時代が来る。雑誌『DIAS』の創刊と失敗による20億円の損失が生まれ、経理局長の横領2億円が発覚し、光文社は赤字が続いて大規模なリストラに追い込まれる。
 新海は会社を赤字に追い込んだ当時の社長にインタビューする。しかし、元上司であるその並河良に対して、新海はきつく責めることができない(ように見える)。誰もがきちんと責任を取らなかった。
 天才的プロデューサー神吉晴夫の戦略によって、記録的なミリオンセラーを続出した光文社の歴史がよく分かった。新海はミリオンセラー、ベストセラーの量産を誇って数字を並べ立てる。光文社は莫大な資産をつくって自社ビルを建てる。社員には高額の給料を払い続ける。経営という面から見れば、労働争議の勃発までは理想的な出版社といえるだろう。だが、やはり出版は発行部数だけで評価される世界ではない。カッパ・ブックスは日本の文化を代表してはいなかった。それは日本の大衆文化を代表しているだけだった。それがどうしたって言われても困るけど。



カッパ・ブックスの時代 (河出ブックス)

カッパ・ブックスの時代 (河出ブックス)