なぜ老いた女性が美しいか


 女優の岡田茉莉子の写真を検索していたら、4年前に書いた自分の文章に行き当たった。もう書いたことも忘れていたが、読み直して改めてその正しさを確認した。

 シネマヴェーラ渋谷で「吉田喜重レトロスペクティブ-熱狂ポンピドゥセンターよりの帰還-」が始まった。吉田喜重監督作品19本が(2008年)6月21日から7月11日までの3週間で上映されるのだ。その2日目の「秋津温泉」を見て、主演の岡田茉莉子の46年前の美しさに圧倒されていた。すぐに吉田監督と岡田茉莉子トークショーがあり、退屈するのではとの心配は杞憂に終わり瞬く間に40分が過ぎてサイン会になった。監督と憧れの女優にサインをいただきさらに握手まで。中学生のとき、NHK大河ドラマ「三姉妹」で主演の岡田茉莉子を見て憧れた日から、まさか45年後にその人と握手できる日が来るなんて、想像もできなかった。小さな手だった。監督の手は印象に残っていない。
 岡田茉莉子は1933年生まれだから現在75歳、きれいな人なのだ。なぜその年齢でいまだにきれいなのか? それは私が過去の岡田茉莉子を投影して見ているからではないか。そんなのは幻想ではないかと言われるかも知れない。そうではない、美は客観としてあるのではない。すべての美は幻想と切り離せない。むしろ美は幻想とともにあるのだ。だから私にとって、岡田茉莉子はいまでも美しい女優なのだ。

 突然目の前に75歳の岡田茉莉子が現れたらただのお婆さんかもしれない。でも私はテレビや映画でもう45年も彼女を見ているのだ。私が岡田茉莉子を見るとき、45年間に見てきた過去の彼女を無意識に現実の彼女に投影している。するとその人は単なるお婆さんではなく美しい女優になる。同じ原理から、老夫婦が愛しあっていられるのだろう。私は書いている。「美は客観としてあるのではない。すべての美は幻想と切り離せない。むしろ美は幻想とともにあるのだ」と。
岡田茉莉子、わが憧れの女優(2008年6月24日)