草間彌生『無限の網』(新潮文庫)を読む。全体は5部から成り立っている。
第1部 ニューヨークに渡って −−前衛アーティストとしてのデビュー 1957−1966
第2部 故国を去るまで −−画家としての目覚め 1929−1957
第3部 反戦と平和の女王となって −−前衛パフォーマンスの仕掛け人 1967−1974
第4部 私の出会った人、愛した人 −−G. オキーフ、J. コーネル、A. ウォーホル他
第5部 日本に帰ってから −−日本から発信する世界のクサマ 1975−2002
草間は子供の頃から強迫観念に悩まされ、家庭も父母の不和などから不幸だったことが語られる。ただ家は裕福だったので、いろいろ工面してアメリカに渡ることができた。最初はひたすら水玉模様=網目模様を描き続けた。長さ10メートルの網目模様の作品を展示した個展で成功を収めた。ついでペニスのような柔らかい立体を無数に貼り付けた舟を制作した。これについて、草間は書く。
一番はじめのソフト・スカルプチュアがどうしてファルス、つまり男根の形をしたものになったかというと、それは私がセックスが汚いという恐怖感を持っていたからなのだ。(中略)
なぜ、それほどにセックスに怖れを抱いたかというと、それは教育と環境のせいである。幼女時代から少女時代にかけて、私はそのことでずっと苦しめられてきた。セックスは汚い、恥ずかしい、隠さなくちゃいけないもの、そういう教育を押しつけられた。その上、門閥がどうだとかお見合い結婚だとか。恋愛に対しては絶対反対で、男の人と自由に話すことも許されない生活だった。
草間が性に対して強い強迫観念を持っているのはそのとおりだろう。しかし、その理由を草間は語らない。あいまいな少女時代の厳格な教育のせいにして逃げてしまう。あれだけ強い強迫観念が生じたのは、忌避すべき大きな事件があったと考えるのが普通だろう。草間は語らない。
アメリカで付き合ったコーネルは箱の作品で有名な作家だ。かれは強烈なマザーコンプレックスの持ち主だったという。コーネルがマザコンでひたすら箱の作品を作っていたというのは分かりやすく納得がいく。箱は無意識の層で母親を意味するからだ。
コーネルと街を歩いていたときのことを草間はこう書く。
どう見てもホームレスとしか思えないような男と、東洋のお妃みたいな可愛いらしい女の子が歩いていると、どういうカップルなんだろうかって、人がよく振り向いて見ていた。
自分で「東洋のお妃みたいな可愛いらしい女の子」なんて書いている。
ドナルド・ジャッドについては、
もともと評論家で、口が達者だから、理論武装ができる。そのかわりに、手のほうがお留守になって、何をしているのかわからない。やり方を知らないのだから。そうであるからこそ、ああいう方面に進んでいったのだと思う。絞って絞って、やっと頭の中で絞りぬいたのが、なんにもない箱だとか単純なものだった。
第3部の前衛のパフォーマンスの仕掛け人というのは、当時はやりのヌードパフォーマンスや乱交パーティーを主催していたということだろう。それを「反戦」というのはおこがましいのではないか。
都合の悪い多くのことを隠していると思われる。にも関わらず、すべてをさらけ出しているというポーズが見えている。総じて成功者の回顧談の様相であって、文学という視点からこの自伝を見るとき、成功作とは言い難い。楽しい読書体験ではなかった。
そんなにも厳しく評するのは優れた自伝を知っているからだ。高峰秀子『わたしの渡世日記 上・下』(文春文庫)は本当に優れた自伝文学だ。それに比べれば、この草間彌生の自伝も、岡田茉莉子の自伝『女優 岡田茉莉子』(文藝春秋)もはるかに及ばないだろう。
- 作者: 草間彌生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/03/28
- メディア: 文庫
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