篠田達美『歩く女』を読む

 篠田達美『歩く女』(淡交社)を読む。副題が「篠田達美アート・エッセイ集」といい1996年に発行されたものだ。内容は雑誌『草月』の1992年から1995年に掲載されたものと、1994年のセゾン美術館で開催された「フランチェスコ・クレメンテ」展のカタログに寄稿された「クレメンテ論」、それに「クリフォード・スティルについて」からなっている。軽いエッセイ風ながら見事な現代美術論だ。
 第1部の「ある作品を手がかりに」では、ジャコメッティモンドリアンドラクロワエゴン・シーレマグリット、ロバート・ロンゴ、プーリヤー、ゴルズワージーが取り上げられる。第2部が「社会と美術のかかわりから」、第3部が「作家論」として前述のクレメンテとスティルが詳述されている。
マティスの幸福な場所」から、

 絵画の魔法が凝縮されたものという意味で「絵画性」ということばを使うならば、この作品(バーンズコレクションのマティスの《生きる歓び》)ほど豊かにそれを示す例はすくない。配色や線の不合理さは一見、絵の全体的な秩序や調和を危うくさせる。だが、別の箇所の不合理さによって、思わぬところで遠回りに調和が救済されてゆく。危うさどうし、未熟さどうしが救済してゆく豊潤な色彩の楽園は、だから野性的で官能的だった。そして不思議なことに、再会したその絵の前で、メリオンの(バーンズ)財団を訪ねた際に見た秋の葉の黄色が、一瞬記憶のスクリーンをよぎっていったのである。

 またドナルド・ジャッドの四角い箱を語って、『2001年宇宙の旅』の四角いモノリスに触れ、さらにカール・アンドレの木のブロックを積み重ねた立方体の作品、ロシア・アヴァンギャルドのロドチェンコの木のブロックを積んだ作品、斎藤義重の合板の作品《「反対称」正六面体 プラトンの多面体》からウォーホルのブリオ洗剤の箱を木とシルク・スクリーンで作った作品まで言及する。本当に見事な語り口だ。
 篠田は本書が発行された1996年、突然脳幹出血で倒れ現在もリハビリ中と聞く。同世代の美術評論家のなかで現代美術を語って右に出る人はいなかったと思う。いつか回復して美術評論の世界に戻ってくれることを冀(こいねが)うものである。
 なお、書名『歩く女』は巻頭の小論「ジャコメッティの《歩く女》」から採られているようだが、これでは何に関する本なのか分かりづらい。本書唯一の欠点だと思う。


歩く女―篠田達美アート・エッセイ集

歩く女―篠田達美アート・エッセイ集