高階秀爾「誰も知らない『名画の見方』」(小学館101ビジュアル新書)はさすが高階秀爾先生の啓蒙書だ。タイトルは少しオーバーだが、誇大ということはない。面白いのだ。しかも引用されている絵画はすべてカラーで掲載されている。とても分かりやすい。「『もっともらしさ』の秘訣」「見えないものを描く」「名演出家としての画家」など8つのテーマでそれぞれ3人ずつ24人のの画家を取り上げて解説している。
フェルメールは「真珠の首飾りの少女」の瞳に不自然な白い点を描き込んで生き生きとした表情を作った。写実的に見えるベラスケスの絵も「近寄ってみると、つぶらに見えた瞳は、素早い筆致で簡略に描かれているだけであり、一本一本が繊細に描かれているように見えた髪の毛や光沢あふれるドレスやリボンも、大雑把な筆触の固まりとして描かれているにすぎない」。
ピカソについて、
1920年代と晩年において、ピカソは頻繁に「画家とモデル」をテーマとした作品を描いている。(中略)おそらくピカソは、若い頃は別にして、実際にアトリエでモデルを描いたことはほとんどなかったはずである。にもかかわらず、なぜ繰り返し「画家とモデル」をテーマにした作品を描いたのか。それは。彼が「画家とモデル」という主題をとおして、「絵画とはなにか」という問題、さらには、その絵画を描いている「自己とはなにか」という問題を見つめていたからだ。(中略)
「画家とモデル」の一連の作品は、彼の数ある「代表作」のうちに含まれることはない。しかし、代表作よりもむしろ「画家とモデル」にこそ、「天才」という評価とは裏腹な、苦悩するピカソの実像が、ありありと浮かび上がってくるのではないだろうか。
ゴーガンについては、タヒチで描いた「異国のエヴァ」が彼の母親の顔だという。
南方においてエヴァを描くことは、「生命賛歌」を歌い上げることにほかならない。一方で生命の源であるエヴァに母親を重ね合わせるというのは、西洋近代文明においてはタブーとされる母親憧憬の、直接的な表現といえるだろう。すなわち、ゴーガンにとってエヴァの主題とは、文明人のタブーが意味を失う原初的な世界においてのみ可能であるような、野性的なほどに力強い「生命賛歌」を意味しているのである。
さて、ブリューゲルについては代表作「雪中の狩人」が選ばれている。これは四季折々の農民の生活を描いた「季節画」シリーズのひとつだ。そこで季節画の参考にランブール兄弟の「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」が掲載されている。これがその絵で、1411〜16年頃描かれたものらしい。
これを見てすぐに田淵安一の絵を思い出した。田淵の描いた同心円のルーツはこれだったのだろうか?
田淵安一「ヒルデガルドの園−五つの花」
Art 1 誰も知らない「名画の見方」 (小学館101ビジュアル新書)
- 作者: 高階秀爾
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2010/10/01
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