本江邦夫『現代日本絵画』を読む

 本江邦夫『現代日本絵画』(みすず書房)を読む。344ページの本に51項目の主として画家論と絵画論が収録されている。うち画家について論じたのが36人分、VOCA展を総括したのが12年分となっている。画家論のうち美術館で開かれた個展の図録のために執筆したものが8篇ある。その他はギャラリーでの個展などの際発行されたリーフレットに寄せたものらしい。それはギャラリーからの依頼によって書かれたものが多いだろう。まず依頼があり、それに応じたものがここにまとめられている。回りくどい言い方をしているが、そのことを否定しているわけではない。取り上げた36人というのはのは少なくない数字だと思う。それらの画家たちの画風にも大きな幅がある。つまり彼等のすべてに本江が積極的に関わったのではないだろうと考えたからだ。もともと本江の文章はレトリックが過剰で読みやすいものではない。頭脳明晰、博覧強記の人で、書いていて幅広い分野に連想が飛んでいく。しばしばハイデガーなども引用される。その華麗な文体の一端を紹介してみる。東京国立近代美術館で開かれた黒田アキ展の図録に書いた文章から、

 物みなすべてが日増しに錯綜していくとは、いいかえればエントロピー、つまりこの場合は情報のばらつきの度合いが増大していくということだ。たとえば、イメージとしてのリンゴを考えてみよう。情報としてのそれはどんどんエントロピーを高め、やがては飽和状態にたっするかもしれない。にもかかわらずそうなっていないのは、エントロピーの低い芸術としてのリンゴ、たとえばセザンヌのリンゴがあり、それに触れることでたとえ一瞬にせよ余分なエントロピーが発散するからにほかならない。「生命体は負のエントロピーを摂取することで自らを”養う”」といった物理学者シュレーディンガーの言葉を借りれば、良質の芸術作品ほど負のエントロピーの度合いが高いのである。(後略)

 いささかレトリックが過剰とは言え、また取り上げたすべての画家を等しく高く評価しているのではないだろうとは言え、個々の画家論はみごとに完結している。ときに書きづらいのか個別の画家論に移る前に一般論が過半を占めることがあるにせよ。
 しかしこの1冊は、高階秀爾の日本の若手画家を取り上げた3冊とともに、日本現代絵画を俯瞰するための恰好の手引書となるだろう。


高階秀爾『ニッポン・アートの躍動』が魅力的だ(2015年6月11日)


現代日本絵画

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