加藤周一の小説「三題噺」を読む(2)

 本書に加藤は長い「あとがき」を書いている。そのあとがきから。

 第一に、私は13世紀の日本仏教について考えを巡らしたことがある。そのために道元をよむようになり、思想家として日本の著作家のなかでは全く抜群であることを知った。その後の禅家のなかでも、その思想の綿密さ・正確さ・内的斉合性において道元に及ぶものは、私の知るかぎり、一人もいない。一休も例外ではないし、沢庵も例外ではない。白隠に到っては、全くいけない。崇伝は、これはまたはじめから話が別であり、五山の詩文も、そこに哲学をもとめるのは、見当ちがいであろう。

 さらにこの文庫版では、湯川秀樹との対談が併設されている。日本文化史の世界においては加藤の前で湯川も形無しと言わざるを得ない。

加藤周一  仏教の多くの経典の説がお互いに矛盾する、多くの違う説がある、という事実は、誰も否定することができない。その事実にたいして、どういう態度をとるかは、佛教の根本問題の一つだろうと思いますが、日本では、大きくみてその態度に三つの型があった。その一つは、天台教学が洗練した「最勝」という考え方ですね。どの経典がいちばんすぐれているか、その標準は近代的な意味でいう原典批評ではありませんけれども、多くの違う説のなかで、どれがいちばん佛の説を正しく伝えているかを検討しようということですね。(中略)もう一つの経典にたいする態度は、主観的な接近の仕方です。信仰の立場からいって、今ここでわが魂の救いのためには、どれがいちばん役に立つ経典であるか、−−これが法然ですね。法然から親鸞に伝わった「選択」という考え方。これが歴史的・客観的な立場を離れて、魂の救済を問題にする。三番目の態度は、どれを選ぶかというのじゃなくて、多くの佛教経典の成立を歴史的な発展として見て、そのなかに教説の発展の内面的な論理をたどろうとする考え方、おそらく思想史的な接近の仕方といえるでしょう。それが富永仲基のとった態度だったと思うんです。

加藤  江戸時代から三人の思想家を選ぶとすれば、白石と宣長と徂徠、その影響という点からいえば、白石の影響は、歴史ではもちろんございますね。これは文句なし。頼山陽さえも、亜流だったのでしょうから。ただ、理論家として、儒家の方法論の独創性という意味では、徂徠のほうが影響は強いと思うんです。

湯川秀樹  加藤さんは、富永仲基にどうして興味をもたれたかということ、これがまた興味のあることで、うかがいたいのですが。
加藤  それは、日本の思想史を私なりにいくらか勉強しているあいだに、思想家としての独創性ですね。その影響はほとんどまったくない人であったけれども、富永仲基の考えそのもののおどろくべき独創性に興味をもったのです。そしてその独創性は、加上、つまり思想史的に儒教も佛教も神道もいっしょに考えることのできるような方法を編みだしたということ、それからこれも古文辞学と関係があるけれども、言語の変遷というか、思想の表現の道具としての言語ですね。そしてその言語自体をまた歴史的な現象として考えて、その発展、それから分類、変遷の過程を分析的にとらえようとしたことですね。これが徂徠、富永仲基、本居宣長と続いていくと思うんですけれども、そのことが一つと、三番目は、たいへん荒っぽい議論かと思いますけれども、くせということ、これはある意味で文化人類学的な考え方の萌芽だと思うんですね。

 いやはや、加藤周一の偉大さを再認識したことだった。


三題噺 (ちくま文庫)

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