関心のありか

 画廊を回っていたら、ある画廊で若いきれいな女性に挨拶された。彼女も画廊の客らしく、個展をしている画家ではなかった。その顔にぼんやりと見覚えがあったが、誰なのかはっきりとは分からない。どちらでお会いしましたっけ? と言うと、ギャラリイ○で「日本の〜展」をやりました、ブログに紹介してくれましたと言う。それで思い出した。あの時の女性作家だ。こんなにきれいな娘という印象はなかった。美人でとても魅力的なのだ。ブログに紹介するためいろいろ質問したりしたのだったが、彼女の魅力がなぜ印象に残らなかったのだろう。
 似たような経験があった。横浜のBankArtへ現代美術展を見に行ったとき、入口で入場料を徴収している女性がいた。そこでは缶ビールまで売っていたので1本買うと、前に私の個展を見てくれましたねと彼女が言う。この娘もきれいな子で、それなのに会った印象がなかった。どこでお会いしましたっけ? と聞くと、小野画廊ですよと言ってケータイに保存してある作品の写真を見せてくれた。その作品はよく憶えていて、彼女の個展は何度も見ていた。個展会場で彼女と何回か話したことも思い出した。作品の印象は強いのに、なぜ美人の作家の顔を覚えていないのか?
 それはおそらく個展会場では意識がほとんど作品の方に向かっているからだろう。どんなに魅力的な女性作家がいても、主役は作品であって作家はそれを生み出した(極論すれば)道具に過ぎないのだ。こんな言い方をすると作家に対して多少失礼かもしれないが、この反対に作家を憶えていて作品を忘れたのよりはいいだろう。
 総じて印象に残った作品は展示していた空間=画廊の雰囲気まで憶えているが、作家の顔と名前は忘れることが多いのだった。