渡辺剛の写真展は何回か見た。ギャラリー山口や資生堂ギャラリー、九美洞ギャラリーでもやったのではなかったか。先月の秋山画廊での個展は見逃してしまったけれど。
渡辺はアメリカとメキシコなどの国境を撮影している。それぞれの国へ入国し、国境の同じ場所を同じような時間、同じような天候を選んで両側から撮影している。あるいはアメリカに移住したベトナム人の村、ブラジルの日本人の集落、西アフリカからマレーシアに移植された油ヤシの林などのように、移植された街や果樹園を撮影している。
福岡伸一の新刊「世界は分けてもわからない」(講談社現代新書)はこの渡辺剛の写真のエピソードや、須賀敦子のエッセイ、コンピューターグラフィックの不思議な錯視などを織り交ぜて、とりわけ新しい話題でもないのに、いつもの分子生物学に関することを面白く語ってゆく。引き込まれて読み続けてしまう。マーク・スペクターの新発見の章などはほとんどミステリだ。著者のみごとな筆力だ。
本書の変わった題名の由来は、次のように説明される。
生命現象において部分と呼ぶべきものはない。このことは古くから別の表現でずっと言われ続けてきたことでもある。たとえば次のように。
全体は部分の総和以上の何ものかである。
(中略)たしかに生命現象において、全体は、部分の総和以上の何ものかである。この魅力的なテーゼを、あまりに素朴に受け止めると、私たちはすぐにでもあやういオカルティズムに接近してしまう。ミクロなパーツにはなくても、それが集合体になるとそこに加わる、プラスαとは一体何なのか。
(中略)それは実にシンプルなことである。生命現象を、分けて、分けて、分けて、ミクロなパーツを切り抜いてくるとき、私たちが切断しているものがプラスαの正体である。それは流れである。エネルギーと情報の流れ。生命現象の本質は、物質的な基盤にあるのではなく、そこでやりとりされるエネルギーと情報の効果にこそある。
いままで「もう牛を食べても安心か」(文春新書)、「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)、「できそこないの男たち」(光文社新書)、「動的平衡」(木楽舎)、「生命と色」(岩波ブックレット)と読んできたが、どれもすこぶる面白かった。美文家ではないが、優れたレトリックの使い手だ。
福岡伸一「できそこないの男たち」(2008年12月14日)
新しい生命観(2008年12月7日)
福岡伸一が語る食品添加物ソルビン酸(2008年9月7日)
生命と食(2008年9月2日)
「もう牛を食べても安全か」が教えること(2007年1月30日)
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