今夏62歳になる秋山さんに倣って

 ギャラリーアポロの秋山修さんから「APOLLOMEDIATE」7月号が送られてきた。ここに秋山さんは毎月エッセイを書いている。

 今年の八月で、ぼくは満六十二歳になる。昔なら、とっくに死んでいていい年だ。(中略)
 ジジイになってきて、一番思うことは二十四時間が殆ど、ワンパターンになってきたと感じることだ。やってることと言えば、麻雀と囲碁と仕事、この他には昨年から、毎週一回六本木男性合唱団で歌うことと、月一回、この原稿を書くこと。ぼくのやってることと言えば、これ丈である。
 よく考えてみれば、十年前もこの生活パターンを繰り返してきた。歌を歌うことがなかった丈で、生活のリズムは全く同じだ。行くレストランやラーメン屋も何十年も全く同じ。しかし、よく考えてみると、画商を始めた三十五年も前から、ずーっと同じ生活パターンだったことに気がついた。
 只一つ、無くなったことは女の人とのお付き合いをすること。これが無くなった丈だ。
 勿論女の友達は今でも多いと思うんだけれど、若い時の様にどうしてもこの女の人と寝なきゃという強いパッションはわかない。(中略)
 だから、いつ死んでもいいと思う。今まで毎日一生懸命生きてきたし、何も悔いはない。
 よく「あと、何十年若かったら、」という人がいるけれど、もうボクはこりごりだ。もう一回、若い時に戻りたいとは決して思わないし、「もう一回人生をやれ。」と言われたら、「ご遠慮させて貰います。」と答える。
 よく長生きがいいと人は言うけれど、それは違うと思う。

 私の意見も概ね秋山さんと同じだ。もう1回若い時に戻りたい、人生をやり直したいとは思わない。若い娘たちを見ても不思議と興味が湧かない。ただ岡田茉莉子とかアグネス・ラムのような若い頃好きだった女性はいまでも好きなのだ。
 寿命は70歳まででいいと思う。長生きをすれば友人たちが亡くなっていて寂しくなるだけだし、もう楽しみだって残されてないだろう。特別に何か嬉しいことがあるのだろうか。
 私の人生は十分なものだったと思う。したいことはほとんどした。これ以上望むのは贅沢というものだろう。