ナボコフ「ロリータ」を読んで

 ウラジーミル・ナボコフ若島正・訳「ロリータ」(新潮文庫)を読んだ。すごい小説だ。古今東西の文学のパロディやほのめかし、そして充実した細部、生半可な小説ではない(そのことを知ったのは巻末につけられた40ページにも及ぶ豊富でていねいな訳注のためだ)。しかし、その特異なテーマから色眼鏡で見て有名な割りに読まない人が多いのではないか。
 その訳注を少し紹介する。

(本文より)私は1910年、パリに生まれた。父はやさしくて、呑気な人物であり、人種の遺伝子がサラダのように混ざっていた。つまり、フランスおよびオーストリアの祖先を持ち、血管にはドナウの水を数滴ふりかけてある*スイス市民だった。

 これの訳注

*血管にはドナウの水を数滴ふりかけてある  ドナウ川とくれば連想するのはヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」であり、「青い血」すなわち貴族の血が少し混じっているとハンバートは自称する。

 「ロリータ」は以前、大久保康雄によって翻訳されている。出版直後丸谷才一が書評で翻訳がひどいと書いたら、ずいぶん経ってから大久保から丸谷に手紙が届いて、あれは自分の翻訳ではないと弁解していたという。当時大久保康雄は大勢の翻訳者を使って、それを自分の名前で出版していた。しかし若島正の訳注を読んで、深い教養がなければ「ロリータ」を訳すことはできないと思った。
 巻末には大江健三郎が解説を寄せている。

 野心的で勤勉な小説家志望の若者に私は、小説勉強にこれ以上はないテクストとして、「ロリータ」をすすめてきた。(中略)
 それはこの多面的な「小説の小説」が、なだらかにつながる小説として語られていながら、幾章かごとに構成される、ひとつの小説ごとの分節化(はっきり他の部分から切断して書く、という意味で私は使っている)が徹底していることにもよる。

 「考える人」2008年春号で「海外の長編小説ベスト100」が紹介されているが、「ロリータ」は第13位となっている。ちなみに第1〜3位はそれぞれ「百年の孤独」「失われた時を求めて」「カラマーゾフの兄弟」だ。
 モダン・ライブラリー編集部が選んだ「アメリカ20世紀の英語小説100」では堂々の第4位だ。ここでも第1〜3位は「ユリシーズ」「グレート・ギャツビー」「若い芸術家の肖像」だ。
 本書の印象、豊かな小説を読んだ。そして昔読んだ吉田知子だったかの、題名も忘れた小説のことを思い出した。ナボコフと反対に吉田のはあらすじを読んだ気がしたものだった。痩せた小説。