「シズコさん」の知恵遅れの弟妹

 佐野洋子「シズコさん」(新潮社)は「100万回生きたねこ」の作者がどんなに壮烈な子供時代を送ったのか、その強烈な個性の母親像が語られている。シズコさんとは佐野洋子の母親の名前だ。

 私は母さんがこんなに呆けてしまうまで、手にさわった事がない。四歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、チッと舌打ちして私の手をふりはらった。私はその時、二度と手をつながないと決心した。その時から私と母さんのきつい関係が始まった。

「シズコさん」は新潮社のPR誌「波」に連載されていた。ときどき拾い読みをしていたが、次の箇所で強い印象を持った。シズコさんには重度の知恵遅れの弟妹(シゲちゃんとキミちゃん)がいたが、実家に残ったもう一人の妹(著者の叔母)が二人の面倒を見ていた。シズコさんは障害者である弟妹に一切関知しようとしなかった。

 母が六十代の終わり頃だったか、私がまたシゲちゃんとキミちゃんの事を持ち出した事があった。「母さん、別に恥ずかしい事でもないじゃない。家族にそういう人が居る家たくさんあるよ。大江健三郎見てごらんよ」間髪をいれず母が叫んだ。「あれは商売でしょう」私はぎょっとした。

 本多勝一も自分にも田舎に知恵遅れの妹だかがいると書きながら、似たようなことを書いて大江健三郎を批判していた。いや、本多勝一だけではない。以前、会社の顧問と嘱託の先生と3人で昼飯を食べに行ったとき、顧問が驚くべき発言をしたことがあった。彼が可愛がっていた女性社員の父親は東大教授だったが、彼女の姉は知的障害者で何年か前に事故で亡くなっていた。亡くなって良かったですね、東大教授の娘があんなでは世間体が悪くてお父さんがかわいそうだ。