黒テント(旧称・演劇センター68/71)が好きでもう35年も見続けている。正確には好きなのは脚本家兼演出家の佐藤信なのだ。以前は座長だったがいまはどういう立場なのだろう。佐藤信が演出すれば日劇ミュージックホールへも足を運んだし、オペラも見た。新劇協議会の合同公演も見た。これはさまざまな劇団の役者の寄せ集めだったので劇団によって演技や発声が違っていておかしかった。
佐藤信は清水邦夫がタンゴを好きなようにクルト・ワイルの曲が好きだった。ワイルの曲を自分の芝居で劇中歌としてたくさん使った、替え歌みたいにして。それがとても良かった。特に昭和三部作(「阿部定の犬」「キネマと怪人」「ブランキ殺し 上海の春」)でよく使った。それらの曲を「ショウボート昭和」と題してLPレコードにして販売したので買って何度も聴いた。クルト・ワイルの曲にそのようにして接したのだった。
黒テントがブレヒトの「三文オペラ」を上演したときはもちろん見に行った。当時品川駅港南口は寂れていてJR所有の大きな空き地があり、そこにテントを張って上演したのだ。これが滅法面白かった。「三文オペラ」にはまった。CDを何枚も買って聴いた。ブレヒトの詞もワイルの曲もいい。ブレヒトの詞は対訳を見ながら聴いていた。
品川駅広場の公演から数年して池上本門寺の境内でまた黒テントが「三文オペラ」を再演した。楽しみで行ったらがっかりした。黒テントの役者だから歌と演奏が下手なのだ。こちらは数年間CDでたくさんの歌手で聴いていた。どうしても比べてしまう。「三文オペラ」は音楽劇なのだ。
去る16日にチケットをもらって、世田谷パブリックシアターで「三文オペラ」を見てきた。演出白井晃、出演吉田栄作、大谷亮介、篠原ともえ、銀粉蝶、Rollyなど。やはり歌が下手なのだ。マイクを使っていて、しかも歌詞がよく聞き取れない。時代を1920年代のロンドンから現代に移しているが、肝腎の乞食をホームレスに変えているので迫力がでない。吉田栄作も女たらしの大悪党という感じはなかった。
しかし、朝日新聞に載った新野守広による劇評はかなり好意的なものだった。
白井晃演出のこの舞台は粗削りだが、翻訳や空間の使い方で斬新な試みをしている。(中略)
窃盗団のボス、メッキ・メッサー(吉田栄作)には躍動感があり、乞食たちを集めた企業を経営するビーチャム夫妻(大谷亮介、銀粉蝶)が場を引き締めている。しかし、俳優全員の演技に統一感が生まれるほどには演出が徹底していない。そのため全体に騒々しい印象がぬぐえない。
しかしこれらの欠点にもかかわらず、舞台にあふれる情熱には好感を抱いた。社会のあぶれ者たちが繰り広げる喧噪が、原作と現代を結ぶ架け橋に転ずるからである。ワイマール末期のベルリンの混沌とした風潮が日本社会の狂騒と重なり、原作の猥雑さと風刺の棘が直接客席に届く可能性が生まれているのだ。ブレヒトの面白さを伝えるには、これぐらいの大胆さがあった方が良い。(後略)(↑しかし漢字が多い)
こんなにほめるのは、多分事前に劇場から接待を受けているに違いない。私だってそれなりに接待してくれれば別な書き様をするというものだ。これが「三文オペラ」の精神なのだ。
メッキ・メッサーは最後に死刑にされる寸前に恩赦がおり、無罪になるばかりか貴族に叙せられ、莫大な終身年金まで与えられる。悪が滅びないのだ。