空の空、空の空なる哉、すべて空なり

 加藤周一は最も好きな著者の一人で、むかし男の子が生まれたら周一と名付けようと思っていた。娘が生まれたので毛沢東の一字をもらって名前を付けたが。ゴダールだって映画「パッション」の中で「毛沢東は偉大な料理人だ、○億人の人民を食べさせている」と言っていた。その後チェン・カイコーの「子供たちの王様」という映画を六本木のWAVEで見て、文化大革命がどんなにひどい政策だったかを初めて知った。すぐ文化大革命に関するたくさんの本を読んで、いまでは毛沢東が極悪非道の政治家だったと思っている。日本で働いている中国人にそのことを言っても意外に彼らは毛沢東に対して寛大なのだが。
 さて、加藤周一朝日新聞に「夕陽妄語」という連載を持っている。先日10月24日に掲載されたのが「空の空」というタイトル。

「空の空 空の空なる哉(かな) 都(すべ)て空なり」
 これは『旧約聖書』、「伝道乃書」、第一章の巻頭の有名な文句である(日本聖書協会、文語訳1887年)。堀田善衛は晩年小雑誌に連載した短い文章の一つに、ここから採ってその表題にした。私はそのことを思い出している。そこには私の興味を誘う二面がある。第一は「空」の字の読みの問題。第二は聖書の内容についてである。
「ソラのソラ」と「空の空」をある編集者が読んだという話。堀田は驚きあきれ、この人は知的な雑誌の編集者であるが、そもそも『聖書』を開いて見たこともないのだろうと考える。(後略)

 懐かしい! 「空の空 空の空なる哉 すべて空なり」は山本弘の口癖だった。「虚無の虚無 虚無の虚無なる哉 すべて虚無なり」とも訳され、英語では「Vanity of vanity, all is vanity.」と言うそうだ。みな山本さんから教わった。若い頃から「空の空」と唱え自暴自棄になり覚醒剤ヒロポン)やアルコールに溺れて自殺未遂を繰り返したのは、山本さんの心情の根底に大きな虚無感を抱えていたせいだろう。1961年軽井沢で働いていた31歳の山本さんが、酔って突然宿の壁に大きく「Vanity of vanity, all is vanity.」と書いて泣き出したと、当時一緒に働いていた遠山望さんが話してくれた。その徹底的な虚無感はどこに由来するのだろう。15歳のとき体験した敗戦だろうか、分からない。
 酔っぱらって、脳血栓の後遺症のもつれた舌で「空の空 空の空なる哉 すべて空なり」と叫んでいた山本さんを切なく思い出す。無名のまま51歳で自死した虚無の画家山本弘さんを。わが愛する画家を。