石川美子『ロラン・バルト』を読む

 石川美子ロラン・バルト』(中公新書)を読む。カバーの惹句から、

『恋愛のディスクール・断章』『記号の国』で知られる批評家ロラン・バルト(1915−80)。「テクスト」「エクリチュール」など彼が新たに定義し生み出した概念は、20世紀の文学・思想シーンを次々と塗り替えた。……

 難解な記述を覚悟していたが、本書はとても読みやすかった。石川がバルトの思想よりも伝記部分に主眼を置いて記述しているためだろう。バルトの生涯がよく分かった気がする。生涯ほとんど母と二人で暮らしてきて、母が亡くなったときに鬱状態にまで落ち込んでいる。結婚はしたことがなく、同性愛者だったことが軽く触れられている程度だ。若いころから結核に悩み、サナトリウム結核療養所で長期間治療を受けている。そのためエコール・ノルマルへ進学する道を逸した。
 クラシック音楽を好みバリトン歌手のパンゼラを偏愛して直接声楽を教わってもいる。「言語(フランス語)とは何かを知りたくなったとき、パンゼラの『優しい歌』のレコードをかける」とまで言っている。『優しい歌』はヴェルレーヌ作詞フォーレ作曲だ。
 38歳のとき『零度のエクリチュール』、翌年『ミシュレ』を刊行する。またブレヒトの演劇に熱中する。ブレヒト以外の演劇を好きになるのが難しくなったと。ブレヒト好きといえば黒テント佐藤信を思い出す。佐藤もブレヒトの異化効果などを自身の演劇に色濃く取り入れていた。
 ソシュール言語学に触れて記号学を構想する。その成果が『記号学の原理』であり『モードの体系』だった。
 バルトは1966年に日本を初めて訪れたあとも何度か来日している。『記号の国』は日本論だ。本書に、東京の中心は皇居で、そこは誰も入ることができない空虚な中心だと書かれている。また俳句からも大きな影響を受けた。
 バルトは著述の多くを断章の寄せ集めのような形式で綴っていた。晩年バルトは小説の執筆を宣言するが、断章形式から逃れられなくて苦労する。小説が完成するまえに交通事故で急死してしまった。死因は院内感染だったらしいが。
 私はバルトの熱心な読者ではなかった。せいぜい昔『零度のエクリチュール』を読んだほか、写真論『明るい部屋』『記号の国』を読んだくらいだ。だが本書を読んでバルトに深い興味を覚えたということはなかった。