雑誌は見開き、そしてソロモンの指輪


 ここに写真で紹介する植物図鑑が使いにくかった。左ページ上段がクロヅル(ニシキギ科)だが、矢印Aの写真もクロヅルなのだ。左ページ下段の左半分がミツバウツギ(ミツバウツギ科)で、右ページ上段がショウベンノキ(ミツバウツギ科)、右ページ下段がゴンズイ(ミツバウツギ科)だが、矢印Bの写真2枚もこのゴンズイなのだ。複雑に入り乱れている。図鑑でこういうレイアウトは普通は見ない。
 このようなレイアウトは雑誌を思い出させる。そう考えると、雑誌は見開き(2ページ)が1単位であり、単行本は1ページが1単位なのだということに気づく。だから単行本であるこの図鑑を見るとき、片方のページだけを見ているのに、見開きが単位の雑誌式のレイアウトがされているので戸惑ってしまう。変な図鑑なのだ。
 ここでコンラート・ローレンツ「ソロモンの指輪」(早川書房)が紹介するシチメンチョウとクジャクの闘いのエピソードを思い出す。

 多くの鶉鶏(ジュンケイ)類では、オス同士の闘いは、闘士の一方が地にたおれ、おさえつけられて、ハトのように頭の皮を引きむかれるまで終わらない。情けを知っているのはわずかに一種類、シチメンチョウだけである。それに応じて、このシチメンチョウだけが、特殊な服従の態度をもっている。それはここでもまた、じっさいの攻撃が企図するものを、先を越して与えてしまうものである。シチメンチョウのオスは、その荒々しいグロテスクな格闘の最中に旗色悪しとみると、突如として地上にはらばい長々と首をのばしてしまう。すると勝ったほうは、私が前にイヌやオオカミについて述べたのとそっくりにふるまう。すなわち彼は攻撃したいのだができなくなる。いぜんとして威嚇姿勢をとったまま、じっと横たわっている鳥のまわりをぐるぐる歩きまわる。しかしもはや、無防備な相手をつついたりふんづけたりすることはできないのである。
 けれどももし、シチメンチョウがクジャクと争ったら、それこそ悲劇だ。この二種の鳥は類縁が近く、オスとしての表現行動もよく似ていて、たがいに敵愾心をそそられるため、両者の間にはしばしば争いがおこるのである。シチメンチョウはクジャクより大きくて、体重も重いのに、必ずといってよいほど負けてしまう。クジャクのほうがよく飛べるし、第一、闘いかたがちがうからだ。シチメンチョウがいよいよ格闘にはいろうと身構えているうちに、クジャクのほうはさっと空中高く舞い上がり、ナイフのように鋭い蹴爪でシチメンチョウに打ちかかる。自分の種の闘いのルールにてらしてみて、シチメンチョウはこの攻撃は「フェアーでない」と感じ、力はまだありあまっていて、その必要もないのにかかわらず、リングにタオルを投げる。つまり彼は、さっき述べたように地上に伏してしまうのだ。そこで見るも無惨なことがおこる。クジャクはシチメンチョウのこの降伏の態度を理解できない。それはクジャクにたいしては無意味であり、したがってなんの抑制も解発しない。無抵抗で地上にひれ伏したシチメンチョウにむかって、クジャクははげしくつきかかり、ふみつける。もしたまたま人が通りかかりでもしなかったら、シチメンチョウはもうだめだ。なぜなら彼は足蹴にされ、打たれれば打たれるほど、ますます服従の姿勢に固まっていってしまうからである。とびおきて逃げだそうという考えなど、まるきり思いもつかないのだ。

 いや、ルールが違うという話なのだが。