野見山暁治「遠ざかる風景」(筑摩書房)にパリに住むマドモアゼル・セスネイという魅力的な女性が紹介されている。私は彼女のファンだ。練馬区美術館で野見山暁治回顧展が開かれた折りに、画家が自分の絵について語るという日があった。質問はないかと言われて、マドモアゼル・セスネイを描いたデッサンは展示されているか聞いた。描いたけれど展示されてはいなかった。
マドモアゼル・セスネイ。私は、この白髪の老嬢から週に2回か3回、フランス語を習う生徒だった。
(中略)
彼女はコンセル・バトアールでピアノを教わり、コルトーについて学んだようだが、人間は、だからといってその専門家にならなくてもよいのだな、と私は気づいた。
(中略)
そうだ、一度、セスネイさんを連れて、私がよく遊びにいっている日本人の老人のところへ行ったことがある。夜道だったが、マビヨン通りまでそう遠くはない。サン・シュルピスの教会の横をぬけるとすぐだ。老人は通りから階段づたいにおりていった中庭の突き当たりに住んでいる。その老日本人のことについては前々からいろんな話をしていたので、セスネイさんも会いたがっていた。
そのときの二人の会話はどうだっていい。セスネイさんもおそらく記憶にはないだろう。なにしろ上ずっていた。そして帰り道、彼女は、私を責めるのだ。お前はあのムッシウのことについて肝腎の説明を怠っていたと言う。どうして、どうしてボウ・ガルソン(いい男)だってことを言わなかったのか。
ドアを開いて出てきた老人の顔を見るなり、セスネイさんは女学生のような羞らいを見せ、きちんと化粧してこなかったことを悔いた。
(中略)
この家で私はひと冬をすごしたことがある。私の妻がシテ・ユニベルシテルの病院で亡くなったあと、あたたかい春がくるまでここに住むようにと彼女が言ってくれたのだ。(中略)
病室では涙を見せなかったセスネイさんが、自分の部屋に戻ってからは、赤く目をはらしていた。
可哀そうな子、マドモアゼルは、自分の膝に私をだきよせて涙をながした。愛欲をはなれて、こんなにしっかりと女に抱きついてよいものか。フランス女の腰や膝は、か細い私の涙をうけとめる、たしかな厚みがあった。なにかといえば、私はその厚みに傷心の体を埋めた。
もう生涯私は独りだ。そう呟いたとき、彼女は私の顔を両手でもちあげて、きっぱりと言った。何ということを、お前は生きているのだよ、お前の肉体はこうして生きているではないか。
この「マドモアゼル・セスネイ」という章はたった11ページにすぎない。野見山の描写力の確かさに感嘆する。セスネイさんに会わせた日本人の老人は椎名其二だろう。