日本の三大ママ

 野見山暁治は50歳のとき博多のクラブ「みつばち」のママと再婚した。その武富京子は日本3大ママの一人だった。銀座と大坂のミナミ、そして博多の3人のママたちだ。
 彼女のどこが「3大ママ」と称される所以なのか。山根基世野見山暁治にインタビューしている。(「オール読物」2009年1月号)

 クラブのママで日本全国に一流という名が出るのは、一体何のプロだろうと考えてね。ああ、あれは人を動かす商売なんだ、「人のプロ」なんだってようやく分かった。例えば大勢でうちに来て喋ってるでしょう。全部記憶していますよ。あの時あの人は砂糖をこれくらい入れたとか。その次に来たとき、その人の前にだけ砂糖をポッと置いている。うちの助手たちが正月に来て、一人、お箸をジーッとみている。その次、来たときに、うちのかみさん、それと同じ箸を買っておいて彼にやったの。「ぼくはこれ、好きなんだけどどうして分かったんでしょうね」と言っていた。
 そしたらね、あるとき言い出したの、私は店をやめると。もうこれはママとしてつとまらない、勘が鈍ったって。人が来たとき、あの人は誰と来て、何を飲んだかって覚えているから、例えばサントリーの人と来た人なら、ビールと言えば「はい」とすぐサントリーを出さないと。キリンビール出したらいけない。それからこっちにキリンビールの人が来ていれば、なるたけ向こうの席に置かなきゃいけない。そういうことが全部パーッと閃いたという。今、この人は誰と来た人かなって考えなきゃならなくなったという。これじゃもう務まらないと。

 彼女と京橋を歩いているときも、

 二人で文藝春秋の前を通りかかったら、「ちょっと寄ってみようよ」って受付に行って「社長いらっしゃる?」と言うの。社長の今日の予定はいっぱいだと受付の人が言ったら、とにかく電話するように頼んで、社長が出たら「あら懐かしいわね、信平ちゃん、み・つ・ば・ち」と言うんだ。すると「すぐ社長室に上がってこい」となるわけ、池島信平も。

 野見山暁治とママとどっちがすごいのだろう。だが平成13年ママが亡くなり、野見山さんはまた一人だ。お元気そうだが現在89歳になる。