湯川淳一先生追悼

 喪中につき年賀欠礼という葉書の中に昆虫学者湯川淳一先生の奥様からのものがあった。今年2月29日に「夫 淳一」が83歳にて永眠したとあった。湯川先生は1940年和歌山県生まれ、大阪府立大学農学部を卒業し、九州大学大学院農学研究科博士課程を修了した。一時期ハワイ・ビショップ博物館へ留学、その後九州大学で農学博士の学位を取得している。専門はタマバエで、タマバエは名前の通り珠=虫こぶを作るのが特徴だ。だからタマバエの専門家即虫こぶ=虫えい=ゴールの専門家ということになる。

 私は前職で湯川先生の虫こぶ図鑑を編集した。湯川淳一・桝田長 編著『日本原色虫えい図鑑』(全国農村教育協会刊)だ。奥付を見れば1996年発行となっている。

 本書は日本で報告されている虫こぶ566種を取り上げ、種類ごとの解説をし、可能な限りカラー写真を掲載した。虫こぶの名前に工夫があり、素人でも寄主植物が分かれば虫こぶ形成者(昆虫やダニ)などが簡単に同定できるようになっている。

 しかも図鑑部分は全体826ページの4割ほどで、虫こぶの一般解説や虫こぶを作る害虫や参考文献、虫こぶに関する種々のリストなどが残りの6割を占めている。まさに虫こぶのモノグラフとなっている。

 編集は私一人で担当したが、レイアウトは別に女性社員に担当してもらった。当時私は広告制作が主要業務だったこともあり、本書の完成に長い時間がかかってしまった。ベテランの著者から時間がかかりすぎる、高齢の桝田長先生の存命のうちに発行しなければいけないと何度も叱られた。湯川先生はそこまで厳しく言われなかったが、ご迷惑をおかけしたことは間違いない。

 打ち合わせのために鹿児島大学へ行ったり、九州大学へ行ったりした。山梨県の昇仙峡へタマバエに寄生されたアブラムシの採取にご一緒したこともある。

 思えば私が初めて湯川淳一先生の名前を知ったのは、桐谷圭治・伊藤嘉昭共著『動物の数は何できまるか』(NHKブックス 1971)だった。ハワイのミナミアオカメムシの多型についての研究が引用されていた。初対面の折そのことをお話しすると喜んでくれた。

 私が前職を離れてもう18年になる。その間年賀状だけのお付き合いだった。今年はその年賀状も頂けなかった。鹿児島昆虫同好会の雑誌『アルボ』192号の追悼文によると、昨年の12月に湯川先生から電話をもらった研究者は、現在すい臓がんで入院されていると知らされたと言う。

 先生、お元気なうちにもう一度だけでもお会いしたかった。様々な思い出がよみがえります。お世話になりました。ありがとうございました。さようなら。

 

 

日本原色虫えい図鑑

日本原色虫えい図鑑

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