中川右介『昭和20年8月15日』を読む

 中川右介『昭和20年8月15日』(NHK出版新書)を読む。副題が「文化人たちは玉音放送をどう聞いたか」というもので、135人の敗戦体験を描いている。

 作家、映画人(映画会社別)、演劇人、音楽家、マンガ家等々。

 菊池寛

 敗因が、いろいろ云われているが、最大の敗因は戦争をしたことだと思う。開戦当時の飛行機の月産額を知って、茫然とならなかった国民は、少ないだろう。

 軍の指導者達は、天魔に憑かれていたのだろう。しかし、強いて敗因を探れば、間接の原因は、満洲国の建設と軍部及び右傾団体の輿論の圧迫であり、直接の原因はドイツの勝利を信じたことと米国の国力の誤算であると思う。

 

 嵐寛寿郎

 〈8月15日、忘れられしまへんなあ、カンカン照りのまっ昼間、太秦撮影所の庭に、全員集まって終戦のご詔勅を聞きました。そら口惜しゅうおました。せやけど、負けて当然やとも思うた。もっと早く、何で手を挙げなんだのか、日本サランパンや、大陸や南方の兵隊、無事に引揚てこられるのやろうか?/戦争負けて、カツドウシャシンどうなっていくのか? お先まっくらダ、ほんまに途方に暮れた。〉

 そして敗戦直前から、〈デマが飛びよる、相手は“鬼畜米英”や。上陸してきたら最後、女は片端から強姦され、男はキンタマ抜かれる。天皇はん以下帝国軍人はみな死刑ダ、当時は冗談と誰ひとり思わなかった〉。

 

 大島渚(当時13歳)、

私たちは、どんなに重大なことが放送されるかということよりも、まず天皇の声を聞くためにラジオの前に座った。あるいは直立不動で立ったのである。(中略)あの声は、まことに非人間的な声であった。私はまだ年少であり、しかも十分に軍国主義教育を受けていたけれど、天皇は神であるなどということを素直に信じてはいなかった。少なくとも、たとえ神であっても、人間のかたちをした神である以上、人間と大差はあるまいと思うほどに、人間を信じていたかあるいは軽蔑するかしていたのだった。しかし結果として、天皇の声は私の想像を絶していた。それまでに私はあんな声を聞いたことはなかったし、あんな調子で語る人間には会ったこともなかった。もしかするとあの時だけ、私は天皇は人間ではないと思ったのかもしれない。天皇の声からは悲しみも怒りも伝わって来なかったのである。あれは、そうした人間的な感情の一切ない、乾ききった声だった。つまりそれは声というよりは音だったのである。その意味では、あれを玉音放送と呼んだのはまことに正しい。あれはまさしく音だった。玉であるかどうかは別として。

 

 深作欣二(当時15歳)、7月に勤労動員で働いていた兵器工場がアメリカ軍の艦砲射撃に遭い、廃墟と化した。

 〈馬鹿にしやがって、こんなざまで何が聖戦だよ、英霊だよ、靖国神社だよ。天皇、政治家、軍人、役人、学者、教師たち、今までおまえらが言ったり書いたりしてきたことは、何から何まで嘘っぱちじゃねえか……〉(中略)

 ところが――それから1か月後〈奇妙な音声のラジオ放送とともに、アッケなく戦争は終わった〉。

 〈……もの心ついて以来、「死にゃいいんだろう」と居直り続けてきた奇形児たちは、死ぬことはあまり恐れなかったが、生きるとはどういうことか想像もつかなかった。無理もなかった。今までその意味や仕組みを教えてくれるおとなたちは、ただの一人もいなかったのだから。

 

 星新一(当時19歳)は終戦の放送を聞いて宮城前の広場に出かけた。放送を終えて帰る天皇の車を見ることができるかもしれないと思って。しかし宮城前の広場には何もなかった。人影もぼんやり歩く3人ほどだけだった。

 大勢の人が泣き伏している、終戦の日の宮城前の写真が新聞などに掲載されたが、実はあれは前日に撮られたヤラセだったことが判明しているという。

 非常に興味深いテーマなのだが、中川右介は深い思想を持っていないので、残念ながら優れたデータが単なる羅列に終わってしまっている。