ヘルマン・ヘッセ『デミアン』を読む

 ヘルマン・ヘッセデミアン』(新潮文庫)を読む。たぶん60年ぶりくらいの再読。ヘルマン・ヘッセは高校生の頃の私の好きな作家のひとりだった。初期の『郷愁(ペーター・カーメンチント)』から中期の『デミアン』、それに『知と愛(ナルチスとゴルトムント)』まで、初期~中期の作品は当時すべて読んだ。後期の『荒野のおおかみ』と『ガラス玉演戯』はその内読もうと思っていて60年経ってしまった。

 途中、十分強く欲することはうまくいくという一節があって驚いた。

それはそうと、デミアンがかつて宗教の授業の際私に言ったことが、どんなに正しいかという経験を、私はもうたびたび味わっていた。それは、十分強く欲することはうまくいく、ということだった。

 

 若い頃、実現してほしい欲望は強く願わなければいけない、そうすれば実現する、と半ば信じていた。その根拠が60年前に読んだ『デミアン』の一節だったことを今回知った。さすがにもうそんなに単純に信じてはいないけれど。

 当時ヘルマン・ヘッセのほかにはまっていたのは、グレアム・グリーンアルベルト・モラヴィアサガン(ちょっと恥ずかしい)、川端康成大江健三郎サルトルなどだった。何度も読んだのがカミュの『異邦人』。

 そういえばフランスのヌーヴォー・ロマンを読みまくっていた。ナタリー・サロートアラン・ロブ=グリエミシェル・ビュトールクロード・シモン、フィリップ・ソレルス等。ヌーヴォー・ロマンからはあまり良い影響を受けなかったと思う。今になって思えば、やはり不毛だったのだ。

 ともあれ、ヘッセは60年ぶりの再読だった。ちょっと懐かしかった。