タカサゴユリを播いた思い出

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 昨日このブログに以前ツタバウンランの種を播いて歩いたと書いた。すると友人が「地味で珍しい植物の種子を採取して育て、またその種子をあちこち蒔いて歩く趣味があるとは知りませんでした」とコメントしてくれた。それで思い出したことがあった。ツタバウンランやエイザンスミレの外にもタカサゴユリの種子を播いていたことがあった。
 現在、不忍池の南西側に東京上野税務署の建物があるが、20年以上前は建物は奥にあって、手前が広い庭になっていた。その一角に白い百合の群落があった。初秋だったろうか、その百合に多くの種ができていた。税務署の人に断って種を採らせてもらった。自宅のベランダのプランターに播き、何年もかけて大きく育ててたくさんの花を咲かせ、種も一杯採種した。それがタカサゴユリだった。高砂百合は新鉄砲百合とも呼ばれ、栽培されていたものが雑草化したものだった。
 当時勤めていた会社の近くに数十坪の空き地があって、雑草が生い茂っていた。周囲が針金で囲われていたのをくぐって中へ入り、種を播いてきた。
 そんなことをしたことも忘れたある年の夏、突然その空き地の丈け高い草むらの中に点々と白い百合が咲きそろったことがある。ススキやヒメムカシヨモギセイタカアワダチソウがびっしりと生い茂った中に大輪の白い百合が咲いている。それはちょっと夢のような光景だった。それからしばらくして空き地に隣接する廃校となっていた小学校が取り壊され、空き地も草が刈り取られ、併せて整地されてそこに新しい大きな建物が建てられた。
 空き地は元は住宅だった。もう何年も前にそこで放火とそれによる犠牲者が出たことがあった。新聞の報道では愛人を作った夫が妻を殺すべく放火したのだという。
その土地の記憶が消え去る前にあたかも鎮魂として白い百合が咲いたかのようだった。その後しばらくして白い百合は以前私が播種したタカサゴユリだったことに気がついた。おそらく何者かが私をしてタカサゴユリを播種せしめ、亡くなった犠牲者を弔ったのではないだろうか。
 閑話休題
 お茶の水駅を出てお茶の水橋を渡り左折して神田川沿いに進むと道路の左手が神田川を見下ろす崖になり石垣が続いている。外堀通りの最初の横断歩道よりずっと手前の石垣に毎年タカサゴユリが花を咲かせる。石垣の間から生えているので生育環境は悪く、もう20年くらい毎年見ているのにあまり大きく育った印象はない。たまに東京都が運営する現代美術のトウキョウアーツアンドスペース本郷へ行くとき、必ず外堀通りを通り、タカサゴユリの生育を確認するのが楽しみになっている。