道浦母都子『無援の抒情』(岩波同時代ライブラリー)を読む。感動して読み終わって、いくつか知っている歌やエッセイがあるのはどこで知ったのだったのかと考えていた。念のためにこのブログを検索したら4年前に読んで感想をアップしていた。すっかり忘れていて情けない。
4年前の記事も参照しながら再度紹介する。
・
道浦は1947年生まれ、私より1歳上の学生運動の闘士で歌人だ。70年安保のころで、仲間の闘士が東大闘争で逮捕されている。運動が終わったあと、当時を思い出しながら回想という形でなくリアルタイムで歌うという形式で短歌を詠んでいる。「無援の抒情」(完本)より、
催涙ガス避けんと密かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり
ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いにゆく
夜を徹しわが縫いあげし赤旗も故なき内ゲバの血に染まりゆく
ビラ一枚見出すことなきわが部屋に五人の刑事苛立ち満ちる
嘔吐して苦しむわれを哀れみて看守がしばし手錠を解きぬ
売春の少女は最後に残されて週に一度の入浴終わる
「インバイ」と少女を一日蔑みしスリの女をひそかに憎む
いつになく微笑み浮かべ扉を開けし看守が不意に釈放告ぐる
君のこと想いて過ぎし独房のひと日をわれの青春とする
釈放されて帰りしわれの頬を打つ父よあなたこそ起たねばならぬ
炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る
少女のようなお前が離婚するのか老いたる父がひとこと言いぬ
みたるものみな幻に還れよコンタクトレンズ水にさらしぬ
そして「無援の抒情」以降の歌から、
私だったかもしれない永田洋子 鬱血のこころは夜半に遂に溢れぬ
自らを苛(さいな)むためにうたうこの愚かさもわれゆえのもの
退散へ虚無へと傾(なだ)れゆきたきをあやうく支えしわがうたならば
如月の牡蠣打ち割れば定型を持たざるものの肉柔らかき
おみなとは肉やわらかくひたすらの鋼(はがね)のごとき意志と思うも
降る雪に燈架のごとく立ちつくす銀の水木(みずき)を己れと思う
全存在として抱かれいたるあかときのわれを天上の花と思わむ
前回は、「本書を読んでいて声をあげてしまうのを抑えられなかった。家に猫しかいなくて良かった」と書いたが、その猫も19歳で、脚が動かなくなり寝たきりでいる。窓の外は冬の雨が静かに降っている。道浦と同じ頃早稲田で学生運動していた津田はその後女性関係で悩み自死した。静岡で学生運動していた原和は運動を離れ、麻雀と碁に明け暮れて大学を中退し、生涯土方をして(碁とパチンコに熱中し)アル中になって自死した。札幌で学生運動していた小池は大企業に入って最後はNo.2になったが、退職後肺癌で亡くなった。もう友人たちの半分は亡くなってしまった。