今泉雄四郎さんの思い出

 10年ほど前に、今泉雄四郎さんのことをブログに書いた。

 私はもう15年来、銀座、京橋、その他の地域の画廊を回るのを週課(日課でなく週ごとだから)としている。およそ年間2,000件の個展やグループ展を見て回っている。しかし上には上があって、奇麻魔美術館を称する近藤実さんは年間4,000件、70歳近いのではないかと思われる三浦仂さんは何と年間5,400件だという。時々三浦さんと銀座で会うが、手に持つ小さな紙にその日に回る予定の画廊の名前がぎっしり書き込まれている。
 そして私が尊敬するのは今泉雄四郎さんだ。今泉さんともよく画廊で顔を合わせたり、芳名帳に名前を見かけたりする。今は仕事の関係で隔週でしか見られないと言われていたが、熱心に見て回っているようだ。今泉さんは現代美術に大層詳しく、しかも見て歩いた展示をよく憶えている。それは複数のギャラリストが言っていることだ。以前のあなたのどこどこの展示では云々と作家(画家)に話しかけ、その展示を作家自身が忘れていて驚いていたなど、ギャラリストも感心して話してくれた。腰が低く寡黙ながら、たまに作品について話すとぴしっと的を突いた発言をする。今泉さんは現代美術に関する「見る人=ヴォワイヤン」なのだ。たくさん見る人は何人かいるが、誰も今泉さんのようには見ていない。それもそのはずで、長く東京画廊の重鎮だった人だ。当時の東京画廊はフジテレビギャラリーと並んで日本の現代美術画廊の双璧をなしていたのだ。

 その今泉さんが1年前に亡くなっていた。一人住まいのアパートの風呂場で倒れていたと言う。用事があって訪ねた知人が翌日発見したのだそうだ。今泉さん宛に出した今年1月に開いた山本弘展のDMが戻ってきて、どうしたのだろうと不思議に思っていた。あちこち聞いて回って、ようやくそのことが分かったのは今年の夏頃だったか。
 元気なうちに現代美術に関して今泉さんの話を聞いておきたかった。あまり出しゃばらない人で、自分から吹聴するような人ではなかった。現代美術に関しては生き字引の人だったと思う。
 ここに書いた近藤実さんもやはり10年近く前に亡くなっている。近藤さんは僕は抽象絵画が嫌いなんだよと、現代美術を多く見て歩いている人とは思えないようなことを言っていた。そういえば二人称画廊を経営していた三須康司さんも、2008年に自宅で冷蔵庫の扉を開けた姿勢で亡くなっていたのを訪ねてきた知人が発見したと聞いた。一人暮らしをしている自分も気をつけよう。