鷲田清一のパンチラ論

 鷲田清一は元大阪大学の学長で、現象学が専門の哲学者だ。パンチラ論なんていう下品な論文など書くはずがない。しかし「文化装置としてのファッション」という小冊子があるし、最先端の流行の洋服も着こなしていた。ファッションに深い関心を持っていのは事実だ。そして専門の現象学からも、現われとか見掛けなどは重要な要素になるだろう。パンチラという現象を通じて現象学について語りたかったのではないかと長年思っていた。
 最近私がYOU TUBEにはまっている。初めは音楽を聴いていたが、あるとき「ぷろたん」というYou Tuberの存在を知った。彼の動画を見ているうちにそこにしばしば登場する「丸の内OLレイナ」というYou Tuberのことも知った。彼らは毎日動画をアップしているらしい。Netの情報ではぷろたんはこれで月額100万円を超える収入を得ているらしい。レイナは自分のパンツを見せるという企画で短期間のうちに多くのフォロワーを獲得しているようだ。数十枚のパンツを持っていると言っていた。
 しかし人は(男たち)は実はパンツが見たいのではなく、パンツに包まれている中味を見たいのだ。それなのになぜ外味のパンツを見ることで充足してしまうのか。鷲田清一先生が興味を持っていたのは、スカートの裾がどうしてあんなに男たちの関心をそそるのかということではなかったか。パンツの中味への強烈な関心が、その外味であるパンツへの関心に転化し、パンツへの関心がそれを覆っているスカートの裾への関心に転化していることの謎が解きたかったのではないか。
 私も10年来、パンチラ論を書きたいと思っているのだが、それをまとめることができないでいる。たまたま丸の内OLレイナの動画を見たことで、パンチラ論の完成に挑戦しようと思ったことの備忘録としてこれを書いておく。
 以前「巨乳論」を書き、いつかパンチラ論と、もう一つなぜカップルができるのかについて書きたいと思っていた。後者は頑張れば書ける気がするのだが、パンチラ論は手ごわそうだ。


ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫)

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