マスクを外すとなぜがっかりするのか?

 昨日のブログに美醜は眼ではなく口の形で決まると書いた。それに対して友人が「説得力ある文章でうなづきそうになった。でも私の場合、マスクを外すとがっかりすることが多いのは何故?」とコメントしてくれた。
 私も同じ経験をしている。有名なYou Tuberの「丸の内OLレイナ」はいつもマスクをかけて素顔を見せないでいた。その頃彼女を好ましく思って見ていたが、マスクを外して素顔を見せたときに彼女への興味を失った。
 またこんなことがあった。昔、夕暮れ時に向こうから女性が近づいてきて、それが当時好意を持っていた女性だと思った。だがそれは勘違いで見知らぬ女性だった。そのことが分かった途端、まるでムンク「叫び」のように、好ましいと思った女性の顔がぐにゃりといった感じで見知らぬ顔に変貌した。
 レイナの例も、見知らぬ女性の例も、人が少ない情報から全体像を創造する能力というか想像力を持っていることを示している。
 私は30代半ばでオートバイの中型免許を取り、遅れてきたバイク青年(中年)としてバイクにのめり込んだ。大人用のバイク雑誌『ROADRIDER』を10数年購読していた。その頃、物陰に隠れているバイクや、走っているバイクをチラリと見ただけでそのバイクの種類が分かった。ホンダXR-Lだとか、ヤマハSRXだとか、ホンダCBRだとか。後輪部分とかエンジン回りとか、要するに部分から全体が推測できた。
 レイナの顔も、見知らぬ女性もオートバイも、部分から全体を構成しているのだ。それは私たちの先祖がジャングルで生活していた太古、薮の向こうにちらっと見える模様からいち早く危険な敵、猛獣などを察知しなければならなかった経験から身につけたものではないか。
 これも古い話だが、昔部下を連れて地方へ農作物の取材に行ったことがある。列車の車窓から見える畑の作物について、彼があれは何かと尋ねたのに対して、私はコンニャクだと即答できた。あれはゴボウだとも。車窓から瞬間的に見える作物は細かなところは分からなくても、いくつかの特徴がつかめれば全体像が構成できるのだと思う。
 人にはそんな能力があるので、それが過剰に働いて、マスクをしている女性に自分の好みの口を想像してしまうのではないか。マスクを外すと現実の顔が現れ、友人が「がっかりする」ことになるのだろう。