美を決める要素は眼か口か

  最近はコロナ禍で皆マスクを付けている。顔の下半分が隠されて、親しい人でもないと見わけがつかない。きれいな女性がいてもそれが分からない。ちょっと美人に不利な時代かもしれない。

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 ここにamazon prime videoの広告がある。モデルは河合優実というきれいな子だ。いやきれいだと思わない人もいるだろう。趣味はいろいろだから。現に私の知人でも由紀さおりを一番きれいだと断言する人がいるくらいだ。

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  さて、彼女の口を隠してみる。意外にも魅力が薄れたと感じるのではないだろうか。フランスの作家フィリップ・ソレルスが「恋は盲目だなんて何という冗談だ。眼差しこそが全てだというのに!」と『奇妙な孤独』で書いていた。しかし、これを見ると眼差しにはそれほどの魅力がないかもしれないと思わざるを得ない。

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  次に彼女の眼を隠してみる。眼差しが隠されたのに、その魅力的な口で彼女の美しさは十分伝わるのではないだろうか。つまり、「美」を決定づけるのは、意外にも口だったのだ。

 私はこのことを40年以上前の資生堂の新聞広告で教わった。それは資生堂の口紅の広告だった。上半分の顔のイラストと下半分の顔のイラストをモンタージュ写真のように組み合わせいた。そして、どんなに魅力の欠ける上半分の顔と組み合わせても、下半分が魅力的なら、その顔は美人だというものだった。そのことはとても説得力があり、強く印象に残った。それでこんな実験をしてみたのだった。