現在東京ステーションギャラリーで開かれている「コレクター福富太郎の眼」に出品されている伊藤深水の「戸外は春雨」が朝日新聞に紹介された(6月15日付)。これについて大野拓生が書いている。
(……)気品の漂う美人画で戦後に高い人気を集めた伊藤深水が、日劇ミュージックホールの楽屋を取材して描いた異色作が「戸外は春雨」だ。華やかなステージの裏で繰り広げられる喧噪と高揚が伝わってくる。
画面にはトップレス姿の踊り子の女性が何人も登場するが、表現者としての彼女たちを尊重し、エロチックな雰囲気が強調されることを嫌った深水は、等身大に近い大きさのびょうぶではなく巻物に描くことを選んだという。
40年前になるが私も何度か日劇ミュージックホールに脚を運んでいた。カミさんを連れて行ったこともあり、彼女にも気に入られた。そもそも黒テントの佐藤信がレビューを演出したのを機に見に行ったのだったが、その後も何度も舞台を見たのだった。吉行淳之介が紹介していた踊り子の松永てるほや浅茅けいこを憶えている。
日劇ミュージックホールはトップレスの踊り子たちが踊るのが売りで、それはとてもセクシーでエロチックだった。それまでそのような舞台は、ヤコペッティの『世界残酷物語』で見たパリのムーランルージュの舞台を見ただけだったから魅力的で惹かれたのだった。
トップレスで踊るのだが、それはストリップショーとは違っていた。トップレスのからだやきれいな足を上げて踊るのはとても魅力的だった。乳房はそれだけで強く惹かれるものだ。とは言え、明治時代には上半身裸で仕事をする女性は不思議ではなかった。戦前には女学生たちが上半身裸で乾布摩擦をしていたという写真付きの記事も見たことがある。私自身も60年前に田舎で経験したことがある。近所のタバコ屋の太った小母さんが、夏になると暑い暑いと上半身裸になって大きな胸を見せて団扇を使っていた。私は小学生だったからそれをセクシーだなんて思ってはいなかったはずなのに、まだ記憶しているとは印象が強かったのだろう。授乳の際も誰も乳房を隠すことはなかった。
だから、40年前にカミさんと遊びに行ったカミさんの友だちが、赤ん坊に授乳するとき、襖の向こうに行って授乳をしたのを驚いたことを今も憶えている。ちょっと期待したのかもしれない。
まあ、未開の民族では上半身裸なのは特に不思議ではないのだし。M化学の営業の知人がアフリカへ行ったとき、男たちに混じって上半身裸で農作業をしていた若い娘が、知人の姿を見てブラジャーを身につけたんだよと残念そうに話してくれた。彼女たちが街へ行くときも、街が近づくとブラをし、街から離れるとブラを外すのだそうだ。
*胸を露わにしていた昔の生活
https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20090526/1243263830
*エロスは文化に規定されている
https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20090901/1251752991